仏様と言っても母親が亡くなった訳では無い。私が中学生になった頃から、私に対して仏のように慈悲深く優しくなったということだ。それ以降、怒られたことの記憶が無い。そこに一体何があったか私には分からない…。

 

現在、母親は実家近くの施設へ入居していて、最近はそこから外出することさえしなくなってしまった。あれだけ几帳面だった人が、自分の身体の自由が聞かなくなったせいで、徐々に家事が出来なくなっていくのは悔しかったと思う、そして自分で自分の身の回りのことさえもできなくなることはさぞかし辛いに違いない。どうにもしてあげられないのが私にとっても辛いところだ。

 

母親は、北海道はサロマ湖の西側にある芭露というところの出身だ。私は学生時代に姉の自家用車(三菱のミラージュ)を借りて友人たちと北海道を一周した時に立ち寄ってみたことがあるが、そこは田舎者の私が言うのもおこがましいが素朴な良いところだった。母親たちが住んでいたと思われる家の近くにあった五十嵐さんという方の駄菓子屋(だったかな?)を訪ねてみたら、母親たち家族のことを覚えていてくれた。きっと15人もの大家族(両親と12人の姉妹と1人の兄)だったから目立っていたのかもしれない。母親はそこを離れて既に70年以上経過しているが、一度もそこへは帰ったことが無いはずだしこれからもそれは無理な話だ。元気なうちに一度で良いから母親をそこへ連れて行ってあげたかったなぁ…。