皆様へのお礼とお知らせをyoutubeにあげさせていただきました🎶
是非ご覧下さい💝
https://youtu.be/Zoxe7t6CNcc

ーお知らせー
この度、クラウドファンディング目標達成に伴い、
単色の予定だったトートバッグを思い切ってフルカラーにすることに決定しました!






泣く泣く単色予定だったので、フルカラーで皆さんにお届け出来るのがとても嬉しいです🎶
エコバッグなどに是非お役立てください♥

そして、50名様達成😭
皆様の応援に応えられるようがんばります!
引き続き応援をよろしくお願いいたします!

🔻クラウドファンディングページはこちら🔻
https://camp-fire.jp/projects/view/230465



11日(土)19:00からスタートしました
クラウドファンディング✨

目標達成しました👏

こんなに早く達成させていただけて😭
本当に皆様に感謝です!
ありがとうございます!

皆さんの期待に応えるべく、
また、更なる夢を叶えるため、
引き続き応援よろしくお願いいたします🙇



🔻良かったら是非
下記ページよりご協力をお願いいたします🙇🔻
https://camp-fire.jp/projects/view/230465


また、クラウドファンディングのページに行けない方のご予約も個別に承っておりますので、その場合はコメントかメッセージくださたいね🎶
本日セカンドアルバム
【 優しい傘 】より
youtube動画にて新曲
「歌えない日は」をupしています🎶

是非是非ご試聴くださいね♥
https://t.co/f6jQfnWuei

🔻クラウドファンディングURLはコチラ🔻
https://camp-fire.jp/projects/view/230465



内園明希オリジナルセカンドアルバム
【 優しい傘 】

この度クラウドファンディングという形で皆さんにお届けさせていただきます🎶
大切に育てて来た曲達 全8曲入CDと、数々のリターンをご用意しました😉


是非応援よろしくお願いします♥


🔻クラウドファンディングページ🔻


セカンドアルバム
発表緊急youtube生放送!
しました!
クラウドファンディングのことや、今回の作品のこと、今の自分のことまで赤裸々に語っております🎶

🔻内園明希youtubeチャンネル🔻
https://www.youtube.com/channel/UCB_dNKGS_ZTx5zOTEqfyyFg





『生い立ち』

『過去の失敗』
 
『挫折・苦悩』、、
 

これを人に見せるって
とても恥ずかしくないですか?💦


今までは自己開示が
苦手だったりもしたのですが、


今回は

私、内園の人生観や生い立ち
恥ずかしい失敗、チャレンジなど
すべてをさらけ出した内容に
なっております。
 

★私がなぜ今の活動をしているのか
★私の生い立ちと人生観
★どんな想いでボイストレーナーとして独立したのか
★これからのビジョン、展望


について熱く語ります。

『内園明希』がどんな人間なのか
よくわかります(笑)

これからお話しするのは
「見る角度を変えれば、目標は叶えられる」というお話です。

私が歌人生を諦めかけた時に、
恩師に言われて助けられた言葉です。
 


私は福岡県の端っこにある
海と山に囲まれた
北九州市門司区という所で生まれました。





現在はシンガーとしての活動と、
ボイストレーナーとしての活動を
両立しております。


私自身、今でこそ
累計300名以上の生徒様に
発声の専門家として指導させていただく傍ら

シンガーとしても全国から
レコーディング依頼をいただいたり

年間50本ほどのライブ活動や、
ラジオパーソナリティ、
司会業などもさせていただいていますが


実は、初めからこうだったわけではありませんでした。





私は
主に10代〜70代の高い志しを持った
幅広い世代の生徒様の歌唱力UPの
お手伝いをさせていただいております。

 
そして
生徒様の歌唱力が上がり
生徒様がご自身のトレーナーになれる!
というのを目標に


【 歌うための体作り 】を日々追求し続けています。


日本人に適した
最先端のボイストレーニング手法を実践して

目標をしっかりと達成し、
ゆくゆくは『理想の歌唱スタイル』
まで実現していけるノウハウを提供しています。


 
youtubeやボイトレ本の中では
おそらくどこを探しても出てこない内容ですので、
こちらでしか学ぶことができません。


ボイストレーナーになって10年という時間をかけて
がんばってつくりました。笑


でも、私は自分が歌の講師になるなんて
考えられませんでした。
 

物心がついた頃、 
だいたい5歳ぐらいですかね。
良くテレビで観ていたアイドルの、
「中森明菜」さんに物凄くあこがれていました。
 




「絶対に歌手になれる!」
いつもそう信じて疑いませんでした。


歌うのは好きだけど、
習っていたエレクトーンは
あまり面白くはありませんでした。

先生も少し厳しい先生だったのもあり、
5年生で自ら辞めてしまいました。


今思えば、もっと習い続けていればと
後悔しています(--;)

逆に今思えば、もっと先生が楽しく教えてくれていたら?
なんてことも思います。


ですから、私は自分のレッスンでは
皆さんが笑顔になって帰って貰えるように
日々考えています!




話を元に戻して、、、


私が幼い頃は、なかなか地方で
オーディションがあることなど珍しく、

そういう存在すら知らなかったんですが、


小学校5年生の頃
6個年上の姉が毎月のように買っていた
「明星(みょうじょう)」という本に、




【福岡地区オーディション開催!】




って、歌本の裏に書かれてて


「お母さん!これ受けるっ!」


って、1時間以上かかる福岡市博多区にある会場に
連れていってもらったのが、初オーディション体験でした。

とにかくやりたい!と思ったことは
やってみないと気が済まない性格は
この頃から今も変わっていません(^-^;

オーディションの
結果はというと、、、


【福岡大会も通りませんでした。】







今考えると、当然ですが、
当時は受かるかも?って
本当に思ってたんですね(^-^;



オーディションが全て終了した後に、
決められていた番号が呼ばれるんですけど
見事に飛ばされて

物凄くショックだったことを
今でも鮮明に覚えています。


そして、その後も黙々と
毎日「中森明菜」さんの歌を
自分なりに研究し、歌い続けました。



しかし、この方の歌
とにかく低音が低い(^-^;


小学生の私には到底出せる低音では
ありませんでしたが

とにかく毎日その低音を出したくて
どんな風に出してるのか知りたくて
カセットテープがのびのびになるくらい聴いていました。



小学校6年生になり、アイドルばかりが好きだった私も
姉の「明星」の影響もあり、バンドブームも手伝って
「ユニコーン」や「リンドバーグ」というバンドに
ドハマリ!



しかし、今度はリンドバーグの高音に悩まされます。


中学校生活も毎日好きなバンドの歌を
聴いたり、歌番組を見たり、
お笑いも好きでしたが(笑)


家が山の上の方で、ご近所さんも仲良しだったこともあり
とにかく毎日大声を出して歌っていました(笑)
 

しかし
今考えるとご近所さんは
首を絞められたような高音域を
聴かせられて迷惑してたかも知れません(^-^;


そんなこんなな私でしたが、
中学校生活はほぼイジメられて
過ぎていきました。



トイレに閉じ込められたり
首をベルトで絞められたり、、、



笑えないですが(^-^;


毎日とても苦しかったです。




でも、家に帰ったら大好きな歌が待っていて
歌ってるときはそんな日常も
すっかり忘れて没頭できる!

歌は私にとって、
そんな苦しい日常を忘れられる
かけがえのないものになっていました。







そして、中学3年生になったとき、
私は



「高校生になったら絶対にバンドを組む!」
 



と心に決めます。
なんの自信か分かりませんが(^-^;


絶対に組めると思っていました。



そして、高校入学後すぐに、
当時、YAMAHAに設置されていたバンド募集の掲示板に


「当方ボーカル 全パート募集! リンドバーグコピー希望!」


と、わがまま放題の内容で募集します(笑)



ですが、それが、、、
集まってくれるものですね!


ほんとに奇跡だったと思いますが、
パート被らず、
ほんとにそれそれのパートで
一人ずつ連絡をもらい、


すぐにリンドバーグのコピーバンドは練習をスタートします!


これにより、私の歌に対する情熱が
更にヒートアップしていきました。



学校では相変わらずイジメられてましたが、
そんなことはどうでもいいくらい
歌にのめり込んでましたね(笑)



歌に留まらず、エレキギター、ベース、ドラム、キーボード、いろんなことに挑戦し、

このころからこっそり
作詞作曲をするようになっていました。



そして高校3年生ににったときには、




「高校を卒業したら働く。」
と心に決めます。



オーディションを受けるのに、交通費など
お金がかかっていた時代だったので、
とにかく働いて、
メチャメチャオーディションを
受けまくろうと決めていました。


 なので、卒業後はすぐにOLとして働きながら、
バンドはオリジナル曲を中心に演奏するバンドから
洋楽を中心に演奏するバンドへと移り変わり、
充実した生活を送っていました。



そんなある日のこと、


あるカラオケボックス主催のオーディションを受け
そのオーディションにで「研究生」で合格し、
博多で歌のレッスンを初めてうけるようになります。
この恩師に出会えたことが今考えると



私の人生のターニングポイントだったと思います。


恩師と出会ってボイトレをはじめて
その事務所主催のオーディションを
受けては落ちるを繰り返すうちに、
あれだけ自信満々で歌ってた自分も



「あぁ。歌っていうのは歌が人並みよりちょっと上手いぐらいじゃダメなんだな、、、」



ということにようやく気がつきます。
恩師の言葉で言うなら、



「歌唱力はどんぐりの背くらべ。いかに個性を出せるか?プラスアルファがあるか!」



うーん、当時の私には難しくて理解出来ませんでした。
せいぜい、

「要するに顔が可愛くないといけないってことね、」
くらいに思ってしまっていました。



バンド活動は続けながらも、
バンドのリーダーにことごとく


「声量がない!抑揚がない!」


と言われ続け、


「このまま歌を続けていても歌手にはなれないだろうな。」


と、ぼんやり考えるようになっていました。







 
25歳になり、当時はオーディションで募集されてる
ギリギリの年齢になり、切羽詰まっていた私に
恩師は



「うっちゃん、先生にならんね?」




と言いました。


正直、歌を諦めようという思いも手伝って
正直カチンときましたが、


その言葉で、

「私はまだ歌いたい!まだあきらめたくないんだ!」
 と、心が激しく動きました。



首を横にふった私に

恩師は続けて、こんなことを言ったんです!




「25歳っち、オーディションでは難しいけと、
CD出すのが夢っちゃろ?
なら、何からでもCDは出せる!
タレントからでも女優からでも!
見る角度を変えれば、目標は叶えられるよ!」



それは、

頭をハンマーで殴られた位の衝撃でした!





狭かった視野が一気に広がりました。
 
 


それから私は歌手とは違うオーディションを色々と探しました。

そして、見つかったのは、なんと、




福岡吉本興業のオーディション。




やってみないと気が済まない私は

お笑い好きのお友達とオーディションを
受けてみることにします!


そして、
なんと見事合格(笑)



何故かそこからお笑いの道を極めるようになるのですが、

ここから、私のどん底人生がスタートしてしまいます。



この時まだ福岡吉本では学校は無く、
合格した翌日から舞台袖から
先輩方の舞台を見学したり、

舞台に立つためのオーディションを受け
それに合格すればすぐに舞台に立てていました!


勿論みなさん、ご存知の通り
ギャラは1分ネタで、1舞台100円。


よって、とにかく空いた時間はアルバイト。

2つのアルバイトを掛け持ちしながら、
先輩の舞台の勉強のため、劇場に通い詰める日々。



朝は6:30からバイトに出かけ、
明け方4:00帰宅なんて日常茶飯事でした。


ですから、毎日出来ていた歌の練習は
日に日にほとんど出来なくなり、


週に一度のバンド練習に通うのが精一杯の状態でした。


そんな生活を、3年間続けてお笑いの世界にドップリと浸かって来ましたが


ふと


「あれ?私ってどうなりたいんだっけ?」

と思ったとき、すでに28歳。



お金も底をついて
借金をして続けるか?の選択で、
やむなく事務所を退所しました。



その後は、
そんな経歴も手伝ってか、

退所後、いろんなところから
お歌の仕事の声をかけていただけるようになり、

地元のご当地グルメを歌った歌で、
なんとCDデビューすることが出来ました!




そして、その後関わった同人サークルにて、
ニコニコ動画再生回数200万回再生以上されるほどに!








そういったバンド以外の活動が気に入らなかったバンドのリーダーは、

私に辛く当たるようになりました。



メンバーみんなが私を良く思っていないと
罵倒され、他の活動を非難されました。



「お前の主の活動はなんか?!バンドが一番大事やろーが!」



でも、私はバンド活動だけで終わりたい人生ではなく



「やってみたいことは、とことんやってみないと気が済まない」

ので、
その時は、何故そういうことを言われるのかが本当に分かりませんでした。



レコーディングをして、その楽曲がCDになり
私の歌にギャラが発生し、
ファンの方々が喜んでくれる!



歌うことの幸せを噛み締めている活動を
辞めることはできませんでした。



でも、バンド活動も好きで、
どちらを取るなんて決められませんでした。



次第にバンドの人たちが全員敵に見えるようになり、思うように声が出せなくなりました。


歌を歌っていると咳き込み、
1フレーズさえまともに歌えなくなってしまったのです。


バンド練習の前の日は
涙が出てきて止まりませんでした。


それでも意地になってバンド練習に行き、

モヤモヤで胸がいっぱいになりながら
咳込みながらも歌を歌い続けていました。



「こんなに苦しいなら、もう歌うのをやめようかな、、、」



人生ではじめて


【もう歌を歌いたくないと思った瞬間でした。】










次第に夜になると毎日涙が溢れて
嗚咽をあげる毎日。


見兼ねた家族が私に投げかけた言葉は
自分では思いもよらないものでした。





「どんな活動も生き生きと楽しそうだから
協力もするし、行かせてあげたいと思うけど、
そんな辛いの見るのは嫌だし、
そんな場所には行かせたくない。」




そうか、私は何のために歌ってる?
私が歌って幸せと感じるから
それを聴いたみんなも幸せを感じてくれる。


辛いと思って歌ってる歌は、辛いのかしっかりと伝わよね。。。



この時、私には沢山のファンの方がいて
毎回レコーディングディレクションしてくれる方々は
1フレーズもまともに歌えない私を
励ましながら、少しずつよいところを切り貼りして作品にしてくれていました。



そんな作品でも、ファンの方々は沢山聴いてくださり暖かい言葉をなげかけてくださいました。



「このままではいけない!本当の私の歌を歌いたい!幸せを伝えたい!」



そんな思いが溢れ、十数年お世話になったバンドを、引退させてもらいました。



バンド活動に終止符を打ち、
やっと歌声を少しずつ取り戻せた私に、


このあと、
ボイストレーナーになるという新たなチャンスが訪れます。



はじめは単純に、バイト探しをしていた求人誌に某音楽スクールのボーカル講師募集というのを見つけ、
駄目元で受けたのがきっかけでした。



駄目元だったにも関わらず、結果は合格。

トレーナーなど未経験の状態から
明日から早速生徒さんを教えてくださいという状態に(^-^;


この時期も、どうしたらいいのかほぼわからず、
とにかく自分がやっていたボイトレを生徒さんに教えていくスタイルでした。


この時の私ははっきり言って




ただの「クズ講師」でした。



生徒さんが出している声が何故出しにくそうに出してるのか?
声がひっくり返る生徒さんを目の当たりにして、
それがどうしてか、また、どうトレーニングしたらよいか?


自分は幼少のころからひっくり返るということがなかったので、
全く経験がなく、解決策が全く分かりませんでした。

そんなとき、
妊娠が発覚し、生徒さんを教えるストレスから解放されます。







生徒さんもそんな「クズ講師」から教わる時間が少なく済んで良かったと
今では真剣に思います。


同人サークルとは別に、
自分自身のソロ1stアルバムを作成する案が
進んでいたため、
ファーストアルバムは悪阻の真っ只中の収録となりました(^-^;



でも、不思議と心のストレスがなく、
穏やかな気持ちで、レコーディングでき、
何故かレコーディングの最中だけ
悪阻の気持ち悪さが消え、

終始幸せな気持ちでレコーディングをしていたことを今でも鮮明に覚えています。




そして、またまたここで壁にぶち当たるのですが、、、



人生初の出産は、思わぬ難産でした。




それにより、出産後立ち上がれない状態にまでなりましたが、

結局原因はわからないまま、立ち上がれるようになったタイミングで退院。


家に帰ってからも、歩くと内蔵が下から出てきそうな感じがして、
歩くとすぐに息切れをしてしまうほどでした。



子育て中は歌の練習はほとんど
出来なかったのですが、
レコーディング期限は毎回待ったをかけられないため、必死に歌を覚えて挑んでいました。




しかし!
またここで、前回のストレスよりも更に厳しい音程のズレが発生しはじめます。








高音がとにかく出なくなってしまったのです。




歌っているときは、自分が音をはずしていることすら気付けない程
必死でした。


ある日、自分の最高音が入った歌を歌ってみた時、


人生初の衝撃!




「え?この声が出ない、、、」



今まで出ていた最高音が見事に出なくなっていました。
悔しくて泣きながら何度も挑戦しましたが、出ません。


これはいけない!と、
昔恩師に習ったていたころのボイトレをやってみようと、
キーボードを引っ張り出して、
その時のスケール練習をひたすら続けました。




結果は、 




【何も変わりませんでした。】




それは、そうですよね?

私は、
そのスケール練習をなんのためにやってるのかすら知らなかったのですから、、、



そんな中、体力の限界を感じるようになり、
初めは歌とは別の意味で、体力回復のために、

母親が通っていた健康筋トレ運動をやっているところに
会員登録し、毎日母と筋トレに励みました。








年齢層は60代から上の方々ばかり、



でもそのくらいからはじめなければダメなくらい私の筋肉は緩んでいたのだと思います。



3ヶ月ほど通っていいると
次第に歩いても内蔵が下から出てきそうな気がするのはなくなってきました。


そして、何より変わったのは





【歌でした!】




はっきりとわかるほどに
高音が出るようになってきたのです!


それでもまだ自分のその時の最高音には達しませんが、明らかに楽に声が出るようになり、レコーディング時、音程を外すことも少なくなって来ました。



ここから、私は本気で



【歌う身体について】

すごく興味を持つようになりました。



歌には絶対に筋肉が関係している!



そのことだけを実体験で確信した私は、
それから猛勉強しました!



まずは、歌う筋肉についての論文を読みあさったり、
○十万するようなボイトレのセミナーや、
資料での知識を買いあさりました。


そして、またボイストレーナーとして復帰し、生徒さんの声を聴いては、
どのようにしてその声が出ているのかを研究しました。



このころは
悪い声のお手本を練習しすぎて、
喉ががらがらになることも多かったですね(笑)


自分がはじめて
悪い声の出し方を覚えたことで、
良い声の出し方が鮮明に分かるようになり、

更には、生徒さんの歌声を聴いただけで
どの筋肉の動きが悪いのか?

どの部分を手直ししたら良いのかをすぐに
生徒さんに伝えることができるようになり、

自分が担当の生徒さん達も
声が出るようになったと、
笑顔で帰られるようになりました。



歌うための筋肉や身体の使い方だけに留まらず、まだまだ歌の世界は深いので、

日々勉強中ではありますが、
私は歌を教えることにもとても大きなやり甲斐や幸せを感じるようになったのです。



自身の活動もそこからは、
順調に上がり、



同人サークルCD作品200曲以上ボーカル収録。
福岡、東京でのワンマンライブも成功させ、





更には中国上海でのライブも行うことができました!







ボイストレーナーの方では、
自分の生徒さんへの思いとスクールの意向が合わず




2019年に独立。




アメリカ式ボイトレメゾットを
日本人に合うものに微調整したもので、

身体の使い方だけではないマインド、
心に響く、魂揺さぶる歌声、個性をしっかりと残しながらのボイトレメゾットを
10年かけて作り上げました。



また、整体師の方との共同で、歪んだ身体を調整し、



【心も身体も歌も健康になる!】



をテーマに、また新しいメゾットを現在研究中です。



・頭から声を出してー!
というような、その講師によるイメージだけをおつたえするレッスン

・スケール練習を繰り返し、何故それを行うのか?も分からず、
その場では何となく声が出ても、お家に帰って出してみたら出ない。
どのように出したのか再現できない

・明確なポイントを教えてくれない





上記は、【クズ講師】時代の私です。


しかし、今ボイストレーナーと語る方の中にも、残念ながら、上記のような方々が

実はゴロゴロいるのが日本のボイトレ業界事情だったりします。



私のノウハウを使用したメゾットは、
ネットなどには出回っていない情報や、

再現性が高いノウハウを、
その方のレベルと生活環境に合わせた方法で
レッスン提供しています。



そして、
生徒様にノウハウを提供するだけでなく



生徒様と一緒に
ジョイントできたり、
一緒にコラボやお仕事ができるような


チームワークを作っていく
というビジョンもあります!










皆さんも、もし独学に限界を感じていたり、
今、どこかにつまずいているのであれば、




【見る角度を少し変えてみませんか?】




最終的な目標は同じでも、
道のりによっては遠回りだったり
近道であることもあるでしょう!

立ちはだかる壁の高さが全く違うこともあるんです。





私の長い話がやっと終わります。(^-^;

 




私は小さい頃から

やりたい!と思ったことはやってみないと気が済まない性格でした。



行動に移すことは出来てもなかなか目標を達成出来ず、親には良く呆れられていましたが、、、

恩師の


「見る角度を変えれば、目標は叶えられる!」
という言葉を身をもって体験したことで、



歌は、才能でも、遺伝でもなく、
自分を信じる!
広い視野を持つ。


その気持ちさえあれば、
誰でも人を感動させ、
涙させるほどの歌を歌えるようになると
断言できます!







そして、最後にもう一つ。




私の大事にしている言葉があります。
「一期一会」



これから先出会う人一人一人が、
もしかしたらこれからのあなたの人生を
大きく変える人かもしれません。



一生のパートナーになる人かもしれません。



志を高く持っていれば、
そんな志を高く持った人たちがどんどん集まってきます!

 

あなたが高い志を持っていれば
そんな人たちに巡り会えるんです。



そして、それが自身のスキルアップや
活動にも繋がっていくんです。



きっと、

いつか、

どこかで、


あなたとも繋がれると信じてます。

 



その時は
お互いに助け合っていきたいですね♪


ということで私もまだまだ
これからもがんばります!





これからも、ぜひ仲良くしてほしいです。
最後まで読んでくださり、
本当にありがとうございました。
 






 内園明希







オンライン配信にて
素敵な音楽と元気な笑顔をお届けします♥️

SEC❤️SOSlive♪×PREMIUM LIVE

『 For you♪』
~君色の夏~

2020年8月9日(日)
15:30open

①部16:00~
MC&opening
MOMIJI
秀樹(From NoLa)
江頭つとむ(PR)
☆休憩&換気&pub time
💝プレゼント大会
②部17:00~
ちっひー
うち*ふる(内園明希オリジナル曲中心に未発表曲も歌います🎶)
江頭つとむ

on-line🎫📡配信 2,500円(全込)
https://ssl.twitcasting.tv/secsheena/shopcart/14574

お楽しみに~🎶

8月9日(日)17:30~
Premiumライブ配信!
うち*ふるとしてうっちー出演します!
内園明希オリジナル曲を中心に、
まだ未発表の曲も演奏予定💓💞
是非、チェックしてね🎶

アーカイブも2週間残すので後からゆっくり見れるんだって♪
是非是非参加してくださいねー😁

その他のアーティストさんも魅力的なアーティストさんばかりだそうなので、楽しみです🎶

ssl.twitcasting.tv/secsheena/shop…
2018年月に書いた記事を見て、また、自分を奮い立たせています。
歌えなかった日々からの克服を、恥ずかしい部分もそのまま赤裸々に綴っております。
ご興味あればどうぞ。



~楽しめるということ~


今日は、ちょっと長い文章になります。
経験を通し、得たことを皆さんに知って欲しかったからです。

自身の大きなライブが終わり、一安心してるうっちーです。

今回のライブは、人生で一番楽しいライブになりました。

私は、実は昔からあまりお歌を努力して上手くなったっていうことがありませんでした。

歌が好きで幼少の頃からずっとお歌を歌い続けて来ました。

高校生になったら絶対にバンドを組む!
と決めてからは、毎日のように1時間以上は必ず好きなお歌を好きなだけ歌っていました。

そのころから、特に何時間歌っても喉が痛くなるということもなかったですし、カラオケに行けば、「うまいね~♪」と言われていました。

でも、自分の中ではまだまだ下手くそでした。

社会人になり、ボイストレーニングというものに始めて出会い、しっかりとした声がどんどん出るようになっていきました。

某事務所に所属したことで、そのボイトレもやめましたが、それでも毎日1時間以上は必ずお歌を歌っていました。

アルバイトも2つ掛け持ちし、夜中は稽古や、バイトがない日は舞台を袖で勉強する生活でしたが、その頃やっていたバンドは絶対にやめませんでした。
生き甲斐だったから。。。

しかし、、、

そのバンド内でトラブルがあり、精神的にお歌が歌えなくなってしまい、今まで出ていた最高キーが出せなくなりました。

それでも、なんとか周りの方々のおかげで、お歌をもう一度歌えるまでメンタルを回復することが出来ました。

でも、最高キーはやはり出ません。

そして、

ー出産ー

私にはとても大きな壁でした。

今まで通り、1時間以上歌を歌うことが最短10ヶ月以上は出来ないと言うことです。

でも、私は出産を選びました。
命を産みたいという気持ちが勝ったから。

そして、出産後10ヶ月なんて甘かった。
産んでからの方がむしろ自分の時間など取れません。

そのうち、体力はどんどん衰えるばかり、お歌がみるみる下手くそになっていきました。

でも、カラオケに行けば「うまいね~♪」と言われます。

でも、確実に昔の自分よりは劣っていることが自分の中では許せなかったのです。

では、ボイトレをしていて、声が出るようになった私がなぜ自分で自分のお歌の立て直しが出来なかったのでしょうか?

それは、ボイトレをしてはいましたが、何故そのレッスンをするのか、お歌を歌うための体のあるべき姿、声帯のことなどを、何一つ知らなかったのです。

ただただ音階練習や、ロングトーン、お歌を繰返し歌い、フラットしてる位置を教えてもらったりするというのを繰返して、体が勝手に何となくそれを吸収したにすぎませんでした。

だから、発声が崩れても、全く自分で分からなかったのです。

その頃教わったことを鍵盤を使ってひたすらやってみましたが、ほとんどお歌は変わってくれませんでした。

次第に1時間もお歌を歌えば息切れをし、昔ては考えられませんが喉が痛くなるようになっていました。

私はすがる思いでインターネットでいろいろ検索し、「亀渕友香」先生の、ボイトレDVDに出会い、実践しました。
すると、少し勘が戻ってきて前より歌えるようになり、喉も痛くならなくなりました。
その時、実践したのが息のトレーニングでした。

しかし、、、

あの、最高キーは出ないまま。
やはり、どんどん衰えている自分が許せませんでした。

何故、これだけボイトレしても歌を歌っても昔のように声がでないのか、その頃の私は分かりませんでした。

そして、子供が少し大きくなり、ひょんなことからボイストレーナーのアルバイトを見つけ、やってみたいけどダメだろうな~。と、ダメもとで受けてみたら合格。
ピアノもあまり弾けませんが、ボイトレを毎日やっていたので、その音階練習は弾けたのが幸いでした。

それから、生徒さんを持ち教えるようになったのですが、なんせマニュアルはありません。

ですので、自分が行ってきたボイトレと亀渕友香先生のDVDで習ったことをひたすら教える感じでした。

ただ、お恥ずかしい話、何故そのボイトレをやるのか、全く分からずにただただ行っていました。

でも、その中で生徒さんに沢山のことを教わりました。

声が思うように出せないということが基本的にはなかった私にとって、発声を教えると言うことが上手く出来ませんでした。

でも、生徒さんたちを見て、どうしたらこういう発声になってしまうのかという疑問と、私に習ってくれる生徒さんに上手くなってもらいたい!
という気持ちが物凄く膨らんできました。

それから私は沢山のボイトレ本を読んだり、有名な先生の商材を買ったり、ネットに落ちてる情報を拾って、良いもの悪いものに分類さかたり、
いろいろしながら少しずつ、お歌を歌う時の声帯の動きなどを知るようになりました。

上手くなる生徒さんも増えてきました。

ですが、自分のお歌は、、、

一向に戻りませんでした。

生徒さんの中にも上手くなれずにやめてしまう人もいました。

これではいけない!

体力がなくなり、歌ってもすぐに息切れしてしまう自分がイヤになり、運動をすることに決めました。

それが、今ちまたで有名な「〇ーブス」でした。

12台の筋トレマシーンを使って筋トレと有酸素運動を繰り返します。
インナーマッスルを鍛えるのが目的。

特にお歌にいいからとかでなく、たまたまここに通いだしたのですが、3ヶ月通ったくらいから、自分のお歌が変わってきたのです。

とても、楽に声が出るようになってきました。

なんで?
やっぱり体力がなかっただけなのか、、、?

その頃私は、自らを奮い立たせる意味でも、
大きなカラオケ大会に出場するという目標を立てました。

そのカラオケ大会は、ほとんどが年配の方。
その中でひそかに何かの賞をいただけたら嬉しいなと思って挑みました。

が、結果は予選も通過出来なかったのです。

50代、70代の生徒さんは、予選突破!

とても恥ずかしい過去です。

予選会で、私は年配の方々の歌唱力と声量に圧倒されていました。

メンタルをその段階でぶっ潰されてました(笑)

自分の番で、固まって思う声が全く出せませんでした。

その2人の生徒さんは私のもとから去っていきました。

当然ですね((T_T))

それから、私のお歌に対する情熱が再びヒートして来ました!

私がこんなんじゃ、今私のもとにいてくださる生徒さんに申し訳ない。

それから私はお歌を歌うための体について知りたくなりました。

そして、ボイトレに関しても、何故このレッスンをするのか、体のどこを使ってどのように発声して、伝え方はどんな伝え方か、など、

そして、自分が筋トレをしだして何故お歌が変わってきたのか?

年配の方々があれだけの声量と歌唱力を持てるのは単に体力の問題ではないと感じたからこそ持てた疑問でした。

それから、私はどんどん声が出るようになりました。
体のメカニズムを勉強し、鍛えるべきところを鍛え、ついでにライブに向けての体力作りにも勤しみました。

そして、今回のライブ!

今までのライブでは、途中でへとへとになりすぎて、お歌を上手く歌えなくなって最後は足も手も体もほとんど動かずに、顔をひきつらせながら酸欠寸前で歌っていたこともありました。

でも、今回は!

まだまだお客さんのパワーに負けてしまう部分もありましたし、
今までで一番自分の声は舞台上で聞こえなかったけど、
でも、お客さんが今までで一番のノリだったし、
自分の思うパフォーマンスが最後まで気持ち良く出来たことが何より嬉しかったです♪

やっと、題目の「楽しむということ」に繋がりますが、

私が今回のライブを心から楽しめたのは、その前の準備を自分の今出来る限りの全てをやって、本番に望めたからこそ、本当の意味で楽しめたのだなといま思うのです。

なんとなくうまかった頃は、なんとなく声も出て、若い頃は体力もあったのでなんとなくそれなりにパフォーマンスも出来ていたけど、ライブのあとは楽しかったという思いの中にも、自分の歌唱力ばかりが気になり本当の意味で楽しめたライブはなかったかもしれません。

でも、今回は心の底から楽しいのみを感じられました!

日々のトレーニングを続けている限り、これからも、次に行われるライブが一番楽しめたライブになっていくはずです!
一回一回楽しんで、課題を見つけてその課題をクリア出来るトレーニングを繰返して行けるからです。

失敗なんかありません。
経験です。
次につなげられるよう、目標を決め、ひとつひとつ目的をクリアしていくことをやめない限り、途中経過なんですね。

お歌だけではありません。
皆さんの人生の中で、本番っていろんな意味で訪れると思います。

その本番を迎える前の努力をどれだけして、どれだけ納得いく準備が出来たかで、その喜びは倍以上のものになるのでしょう。

まずは夢を目標に変え、そのための目的をつくり続けていきましょう♪

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https://youtu.be/VVnEtau3wHY

この度、新曲発表しました!
Youtubeで公開していますので、良かったら、、、

いや、絶対聴いてください🎶ww


【ありきたりの日   /   内園明希・芳葉】
早く皆さんの元にありきたりの日が戻ってきますように・:*+.(( °ω° ))/.:+