エゴという怪物(その1) | 光の世界からのギフト

光の世界からのギフト

私たちは光の世界からやってきて
この世を旅して
光の世界へと還る

(遊歩道の木々はまだ冬木立です。)

 

久しぶりに暖かい日が続いて、散歩道には春の訪れが感じられています。春一番に咲くロウバイと紅梅の花が咲き始めました。我が家の猫も、窓から差し込む日差しに気持ちよさそうにコロン、コロンと寝返りをうちながら、日向ぼっこをしています。この、のどかな風景は平和そのものです。

しかし、テレビをつけるとウクライナではロシア軍の攻撃や死者の数や逃げ惑う人々の姿が映し出されています。いまだに世界中のあちこちで戦争が起きているのです。戦争とは人間のエゴから始まると思います。支配欲、独占欲、物欲、性欲等のエゴの怪物です。人類の歴史には戦争というエゴの怪物の歴史がえんえんと続いているのです。第2次世界大戦はドイツとイタリアと日本で始めた戦争です。彼らははじめは国民の圧倒的な人気のもとにリーダーになり、つぎに独裁者としてエゴの怪物の道へと進んでしまったようです。多くのカルマを積んでしまい、最後は苦しくて、みじめな死で終わりました。エゴの怪物になり,つくりだされたマイナスのカルマは、彼らが生きているうちにある程度清算されたようです。世界中に他にも沢山の独裁者とよばれてマイナスのカルマを積み、人々を苦しめた人物がいると思います。

それらの人物は、生きているうちはカルマを清算しないで、生きられたとしても、光の世界へと還ったあとで、カルマの掟により暗い光のなかで過ごし、来世でその罪の償いをしなければいけないことになります。

 

(ロウバイと紅梅の花)

 

数千年という長い間、人間の歴史には戦争というエゴによる闘いの歴史が続いています。古代人はどうだったのでしょうか?

紀元前1万数千年の遺跡では人類は戦争はしていないようです。人口も少なくて、太陽を神として崇めて、霊魂の存在を認めて、自然と共に生きていたようです。(文字がない時代に関しては、確かな記録がありませんが・・・・)

そして他の部族とも自分達の場所でとれるものを物々交換で分かち合い、そのための争いはなかったそうです。

あちこちの遺跡からそのことが解明されてきました。古代の人々は自然を相手に平和と調和の世界が続いていたようです。

もちろんその人達の心のなかには エゴは存在していたでしょう。でも、古代人はエゴの怪物にはならなかったようです。

スピリチュアリスト達は光の世界の存在を信じています。生まれてきた意味を理解して、世の中の平和と調和を祈ります。光の世界へ還るまで、常に自分自身の心と向き合うための瞑想をするのです。そして、エゴの怪物につかまらないように、正しい道を進んでいるかチェックをすることが大切だと思います。 光の世界の存在を信じている人は、現世をどのように生きるべきかを理解しているからです。

 

(キッチンから見た夕陽)