世界の進運に 後(おく)れさらむこと

1.持統天皇が実施された業績は数々あるが、その中で見落としてはいけないことは、教育のための日本書紀の編纂、文化としての万葉集の編纂の2つだ。日本書紀は史書で、その国のアイデンティティを形成する。アイデンティティとは「国民精神」のことだ。日本とはいかなる国か、そしてその国作りのために、ご先祖たちがどのような苦労を重ねてきたのか。そうした過去の事実を学ぶことで、そこから日本人としての国民精神、すなわちアイデンティティが形成される。そうしたアイデンティティが、一部の人たちだけのものであってはならない。それ自体が、国全体に一般化したものでなければならない。そこで新たな文化の創造として編纂されたのが「万葉集」だ。

 

2.万葉集に掲載された歌は、皇族や貴族や、いまでいう文化人のような人たちの歌ばかりではない。そこには一般庶民の歌や、ごく普通の主婦の歌、若い娘さんの歌などが掲載されている。つまり、日本全国誰もが、男女や身分の上下を問わず、歌を通じて高い民度と教養を持つ国にしていく。それが「文化の創造としての万葉集」の役割だ。日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇。万葉集の編纂をしたのは柿本人麻呂。けれど天武天皇の時代、天武天皇は国家最高権威。指示や命令、つまり史書編纂の詔(みことのり)は、最終的には天皇からの詔の形をとるが、その前に、それを実現していくことに関する細かな計画が行われる。天武天皇の時代に、そうした政治向きの事柄についての実権を持っていたのが、皇后(おほきさき)であられた鸕野讚良皇后(うののさらのおほきさき)、つまり後の持統天皇。

 

3.持統天皇が皇位にあったのは、690年から697年までの7年半。けれど持統天皇は、孫の文武天皇ご譲位の後、わが国初の太上天皇(上皇)となられて、再び政治の中心の場に立たれている。そして、日本書紀や万葉集の編纂のみならず、日本という国号の使用、太上天皇(上皇)という制度の開始、貨幣制度の開始、税制の確立、戸籍の使用など、いまの日本の形そのもの基礎を築かれた。日本人の、いわゆる「民族性」にあたるものは、持統天皇の鋼鉄のような強い意思によって築かれた。7世紀という、世界の国家の黎明期に、我が国が持統天皇という偉大な女性を戴いたことは、その後1300年以上に渡り我が国に生まれ育った全ての人にとって、そしてこの先も何千年と続く日本人にとって、それはとても幸せなことだ。

 

4.そして持統天皇の築かれたその日本人の民族性は、エスニック(民族)としてのものではなく、どこまでもネイション(国家)としてのものであったということもまた、ものすごいことであった。何故ならエスニック(民族)主義というものは、必ず流血の惨事を招くからだ。何故かというと、外国からやってきて日本に住む人、あるいは混血の人、あるいは生粋の日本人でも日本人の民族性を否定する人は、日本エスニック(民族)といえるのか、という問題を常に抱えるからだ。日本民族であるかないかの境界線が、とても曖昧なので、必ず最後は流血の惨事になる。これに対し、日本的文化を共有する人がネイションの一員という考え方は、国家の理想を共有しさえすれば、その国の一員とされる。例えばアメリカは多民族国家だが、自由と平等、そして合衆国憲法をいただくことを誓った人がアメリカ合衆国というネイションの一員だ。だから多民族国家であることができる。

 

5.アメリカ合衆国が成立したのが1776年のこと。日本は、それよりも千年以上も昔に、ネイション・ステートを形成している。戦後は日本を破壊したい人たちから、持統天皇はまるで強欲な女帝であったかのような言われ方をしてきた。けれどもう日本人は目覚めなければならない。その目覚めこそが、昭和天皇が終戦の詔勅で語られた「誓て国体の精華を発揚し世界の進運に後(おく)れさらむことを期すべし」ということの意味だ。過去に学ぶことを主として書いてきたが、趣旨は別なところにある。それはいかにして未来を切り開いていくのかだ。近隣諸国のような独善的国家になりたくないから、民族主義(種族主義)の道は選ぶべきではない。立派だった先達に学び、その立派だった過去と現在とを比べてみたときに、現在の持つ問題点が明確になる。その問題点を解決し、過去の良い点と、現在の良い点を組み合わせて、もっとよい社会を築いていく。そこが一番肝心なところだ。何故なら未来は創造するものだからだ。持統天皇が目指された道は、まさにそのための道だ。人と人とが殺し合う悲惨を見続けてきた持統天皇は、二度と殺し合いなど起こらない世の中を築くために何ができるだろうかを、生涯をかけて追い求めていかれた天皇であった。

 

6.そのために日本書紀の編纂と、その日本書紀に基づく教育の実施、そして一般の庶民の和歌まで掲載した万葉集の編纂による文化の香り高い国づくり。というように、持統天皇の功績は、まさにそうした教育と文化による(当時にあっての)新しい日本の創造であったといえる。過去を四の五のということは誰にだってできる。現在の欠点をあげつらうことも、誰にだってできる。けれど、不平や不満、あるいは評論評価だけでは、決して新しい未来を開くことはできない。過去に学び、未来を創造する。そこに希望がある。そこにこそ、大切な本義があるし、そのことを昭和天皇は「世界の進運に 後(おく)れさらむことを期すべし」と述べられたのだ。今こそ、持統天皇の行われた日本書紀や万葉集の編纂などとともに、数々の日本国の創造に謙虚に学ぶときである。