1052、誰だってホメられたい | ウホッ! いいブログ・・・
2019年03月13日(水)

1052、誰だってホメられたい

テーマ:僕がよく言うこと

たとえば100点満点で何かを評価すると考えたとき、

たとえば「65点」は、ホメてもいい評価だろうか?

 

みんなが10点なのに65点なら大絶賛してもいいだろうけど、

みんなが80点なのに65点なら素直にホメるのは難しいだろう。

 

ではもうひとつ、みんなが50点であるとしたときなら、65点は、どうだろう?

・・・たぶん、微妙にホメづらいんじゃなかろうか?

 

100点から50点までの真ん中は75点なのだから、

75点以上であるなら、理屈からいっても、ホメめてもいいと素直に思えるだろう。

でも75点以下なら、少し思い返せば、もっとすごいものがあったと思い出せてしまう。

 

 

 

これと同じことは、しょっちゅう起こっている。

 

どういうことかっていうと、

「自分の気持ちとしてはホメてもいいんだけど、それをホメてしまう奴だと他人に思われたくはない」という心理

 

 

 

たとえばAさんは、70点の美女だとしよう。

まあ、50点よりは明確に高いので、自分としては美女だとホメてもいい。

だが70点をホメてしまうと、お前は70点で満足する、見る目のない奴なのかと言われかねない。

 

世の中には100点や95点の美女もいるのに、お前は70点ですらホメてしまうのか、と。

お前は90点や80点の美女を知らないから、70点の美女をホメてしまえるのか、と。

 

ここが難しい。

 

僕のように「自分の好みで評価しているわけじゃない人」にとって、

70点の美女というものは、その程度の存在比率だと仮定しても異論は少ないであろう、という意味だ。

僕という人格や感情が、70点という評価を保障するわけではないし、その数値を確定させたわけでもない。

 

しかし普通の人は、美女に対して70点という点数をつけたら、

自分という個人が好き嫌いの基準に照らし合わせたうえで、

自分という人格や感情が、好ましさの度合いとして数値を確定させるなら、という意味になる。らしい。

 

普通の人は、「子供なら100点でも大人なら0点だ」と評価する。

僕は「この状況だけに限定するなら、大人に点をやるわけにはいかない」と評価する。

しかし言いたいことは同じでも、言葉を選ぶときの正確さや、こめられている感情・意志も違う。

 

 

 

 

少なくとも「僕が」「65点をつける」とき、

それは70点には満たないが、60点をつけるほどでもない、程度の意味にしかならない。

それが65点であってほしいと願ったわけではないし、65点であるべきだと望んだわけでもない。

 

だから、もし相手が条件Aを提示してきたのなら、基準が変わり、70点になるかもしれない。

同様に、もし相手が条件Bを提示してきたのなら、基準が変わり、60点になるかもしれない。

 

僕が点数をつけるときは、

特に条件を設定しておらず、どのような相手・状況でその数値を言い渡したとしても、

判断基準を明示したうえで理解を求めることができ、理解に基づく共感が得られるであろう、という前提を内包している。

 

僕が好ましいと判断したかどうかではなく、

それを好ましいと判断するだけの理論や根拠があり、

自分以外に対し説明し再現することが可能かどうか、が最優先される。

 

もちろん、普通の人はそんなことをいちいち考えないし、

仮に考えていたつもりであったとしても、

僕がそのような基準で評価した、ということをきちんと伝えても、理解する気もなければ、恐らく理解できもしない。

 

 

 

 

 

 

 

まあ、以上の理屈をまとめると、だ。

 

僕は厳しいことを言っているように見えるかもしれないが、

軽々に褒める奴だと思われたら、

たまに用いる褒め言葉の説得力がなくなるだろ?

 

 

 

 

 

世に女性は「愛してる」を何度でも言ってほしいと仰るが、

毎日愛してると言われ続けて、エッチのたびに愛してると言われ続けたら、

その言葉の重みがなくなって、しまいには「誰にでも言ってるんでしょ?」などと仰るわけで・・・

 

きちんと考えたうえでホメてるんだよ、少なくとも僕は。

褒め言葉の重みと使いどころを長年実践と経験とともに吟味し続けてきた結果、

褒めることは大切だし欠かせないが、身の程を知らない奴を褒めるとつけあがるだけだ、という確信に至った。

 

だから僕は、誰だってホメられたいということを知ってはいるものの、

そう簡単にホメたりはしない。

50点の人が獲得した55点の褒め方と、60点の人が獲得した55点の褒め方では、意味が全く違うからだ。

 

それともアレか?

 

自分が尊敬する恩師に気を遣わせてベタ褒めされて、

自分の実力では明らかに恩師の域には遠く及ばないというのに、

それでも恩師による世辞や謙遜として賞賛されて、あなたは嬉しいのか?

 

僕は、あなたが、恥と身の程を知っているものだという前提でものを喋っている。

だから、あなたは軽々に褒められたくらいで調子に乗ることはないと思っている。

 

しかし、それゆえに、だからこそ、あなたを軽々に褒める人間だと思われたくはない。

その程度のことくらいできて当然なのに、という不快感を与えてしまいたくはないからだ。

 

肯定すべきものと、否定すべきものとの間には、明確な線がある。

僕はそのラインを、いついかなるときでも、可能な限り明確なままにしておきたいと思っているだけだ。

 

 

 

 

無論、僕は誰かに褒められたいとは思わない。

その人に理解できる程度の「よさ」しか発揮できなかったとすれば、

それはまだまだ未熟なものだと考えるからだ。

 

そもそも褒めるという行為自体が、

評価する側のほうが上側にいる、という大前提で行われるものだからな。

 

僕はいかなる相手であろうと、常に対等な位置にあり続けたいと願うから、

褒めるということではなく、認めるとか、許すとか、協力するとか、

そういった形で表現できればいいなと考えている。

 

明らかに未熟な子供が自分の親を褒めるとき、

それは子供にとって自我の大きさでは、自分と親とが対等以上の関係になっている、ということだからな。

 

僕は、あるいは、あなたより優れた存在であるかもしれない。

だがそれだけの理由で、あなたを褒める側に回りたいとは考えない。

 

 

 

 

あなたは恐らく、ホメてほしいのだろうがね。

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