本日の加奈伝道師のメッセージの聖書箇所であるイザヤ54:1-3は、実は”バビロン捕囚”という事件がこのあとに控えている状況で、イザヤを通して神様が語られた預言です。将来的に破滅がやってくるにもかかわらず、この箇所には希望が語られています。

今からおよそ3,000年前、イエス・キリストが降誕される1,000年前、ダビデ王・ソロモン王の時代に、イスラエル王国は絶頂期を迎えました。戦争をすれば向かうところ敵なし、国力も充実して、周辺諸国に神の力を示していました。

ところが、ソロモン王は晩年に多くの異国人の女性を妻や側女としたため、それらの女性たちが持ち込んだ偶像を礼拝するようになり(Ⅰ列王11:1-8)、主に罪を犯しました。そして、ソロモンの息子レハブアムの失政によって、イスラエル王国は南北2つに分裂してしまいます。

北王国イスラエルには、誰一人主の目にかなった正しい歩みをする王が登場しませんでした。そして遂に、B.C.723(あるいは722)年、北王国はアッシリアに滅ぼされます。

一方、南王国ユダには、ヨシャファテやウジヤ、ヒゼキヤやヨシヤなど、主の目にかなう王も登場しましたが、偶像を礼拝する悪王も登場して、遂にB.C.586年、南王国はバビロン(新バビロニア王国)に滅ぼされてしまいます。このとき、バビロンの王ネブカドネツァルは南王国の民の多くをバビロンへ連行して、70年に渡って捕虜としました。これを”バビロン捕囚”といいます。

しかし、バビロンを滅ぼしたペルシャによって、南王国の人々はエルサレムに戻ることが許され、エズラやネヘミヤたちによって、神殿と城壁が再建されるのです。

歴史を支配しておられる神様は、捕囚の民の帰還をすでに見ておられました。やがてギリシャの時代、古代ローマの時代になり、イエス・キリストの来臨となるのです。主イエスが私たちのすべての罪を背負われ十字架にかかられ、そしてよみがえられて、救いが成就するところまで、もちろん神様は見ておられました。今日の聖書箇所を、すべてをご存じの神様が、困難の中で希望を語ってくださるものとして受けとめられる方は幸いです。