※今回のコラムは妻の執筆です。

数週間前、ひどい歯の痛みで目が覚めました。洗面所に行って口をすすぐとひどいことに……近所の歯医者さんに飛び込みました。結果は……歯の根が割れているのです。レントゲンでそれを見せられて、「抜くしかないですね……」と。何かほかに方法はないかと先生を質問攻めにしたのですが、やむなく抜くことになりました。抜いたらすぐに次の処置かと思いきや、「まだ抜いた部分の肉が盛り上がってこないから、次の処置は1か月後ね」といわれ、現在次の処置まで待たされている最中です。

とあることをきっかけに、「歯科の治療って、神様が私たちをお取り扱いになるときと非常に似ているな~」と感じました。

・歯が腫れて痛みが出る → 心の傷が原因の痛みの現象が出る
・歯医者に行く     → 教会に行く。牧師と面談
・レントゲンを撮る   → ここに至るまでの経緯を話す
・治療が始まる     → 聖書を読み、祈り、牧師のカウンセリングが始まる

皆さん歯医者さんまでは来られます。でも多くの方は「レントゲン」が始まると、自分に都合の良いことしか話しません。レントゲンには、どんなに隠したくてもすべてが写ってしまいます。良いところも悪いところも、自分のすべてがわかってしまうのです。レントゲンなくして本人の話だけでは治療方針は決められないのです。私の場合も表面は何ともなっていなかったのです。レントゲンを撮って、根が折れていることが発覚しました。

さらにその先のステップ「抜く」という事になると、多くの方はレントゲンよりも激しく抵抗します。「抜くのは次にします」と言って、応急処置だけして帰ります。応急処置で一時的に痛みは止まりますが、根本を直していないので、悪い部分はそのままです。でも「抜きたくない(自分は何の傷も負いたくない)」の一心で、別の歯医者さんに行きます。また別の歯医者さんで同じことをいわれ、次の歯医者さんに行くを延々と繰り返すのです。

そうやって「歯医者ショッピング」をしている間に、歯の根っこはどんどん腐っていき、異臭を放つようになり、自分自身がその臭いでイライラします。それだけでなく、周りも顔をしかめるほどの異臭となりますが、周りにそこまで迷惑をかけている臭いになっているとは本人は露ほどにも思っていません。「何故かあの人はいつも私を避けている」と言います。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。(ヘブル12:11)

神様はしばしば、麻酔なしで手術するような痛みを私たちに経験させることがあります。でもそれを逃げてはならないのです。実は私も歯医者さんに飛び込んで抜く日まで、口の中が血なまぐさくて、本当に嫌でした。抜いた後も数日は臭くて、他の方とお話しするのが嫌でした。でも今は痛みと臭いから解放されています。次のステップも決まって、肉が上がってくるのをひたすら祈って待っている毎日です。(かな)