大阪、京都、滋賀
さとう式リンパケア
内臓環境研究会です。
何がしたいか分からない。
これ、永遠のテーマなのかな?と先日のシークレットイベントでも思いました。
私もどちらかと言えばしたいことが分からない側の人間なので、気持ちは分かるつもりです。
でも、私たちはいつも自分のしたいことをしているのだとある時気づきました。
したいことが分からない人は、したいことというものに大きな条件を付けていることがあるのかな?と思ったのです。
意義があって、周りの役に立って、できれば立派なこと。
したいこととはそうでなければならないと条件を付ける。
立派なことがしたいことであるという、そんな自分でいたい。
そんな気持ちもどこかにあるかもしれません。
人間は人の役に立ちたいという気持ちがあります。
最近は承認欲求などとあたかもダメなことのようにとらえられている部分がありますが、
人の役に立ちたいというのは人として自然で普遍的なものだと思います。
なので、人の役に立ちたい気持ちを否定することはありません。
だけど、そもそも人は生きているだけで何らかの意義や意味やお役立ちポイントがあるので、役に立たなきゃ!立派でなきゃ!とあえて思う必要はないというのがひとつの見方かなと感じます。
生きているだけで、クリアしているんです。
だから、毎日の中で時間をかけている一見くだらないこと(と自分が思っているだけ)をしたいことだと胸を張って生きていていい。
毎日2時間散歩しているのが、一日の中で一番時間をかけているならば、それでよし。
毎日映画を2本見ているなら、それがしたいことだと言ってよし。
本当はしたくないことだけど、意義があるからこれが私のしたいことです。
と、自分に嘘をつくよりもよっぽどいい。
何年も前に書いたことがありますが、仕事を失ったらアイデンティティまでなくしてしまうケース。
お金を稼ぐということは必要だと思うし、社会参加、社会貢献の意味合いでも素晴らしいと思います。
が、本当にしたいわけでもない仕事を辞めたらアイデンティティをなくすなんて必要ないわけです。
お金が必要だから、仕事しますで良いわけです。
ついでに社会参加もできて、社会貢献もできるなんて、仕事っていいものだなってことです。
社会貢献したいんです。って大仰に考えなくていい。
伝わっているでしょうか?
仕事をするなとか、社会貢献するなとかいう話ではないのはお分かりいただけるでしょう。
世の中の役に立ちたいという気持ちを持つなという意味でもありません。
自分に嘘をついてまでそれをやりたいことだと思うと自分を見失いますよという話です。
(前回のシークレットイベントにて。)
私が世のため人のため(大げさですが)に動いているように見えるときは、根底にうちの子のことを考えています。
例えば、散歩途中にごみがあって拾ったとしましょう。
それは世のためではありますが、きれいな地球をうちの子に残したいとか、
きれいな町の方が私も気持ちいいとか、そちらを意識しています。
ごみを拾う行動は社会にとってプラスだろうし、できれば自分も社会にとってプラスな存在ではありたいけれども、
社会のためを第一義にしていないということ。
ほとんどの人は反社会的な行動をしようとは思わないでしょう?
だったら、やりたいことをやっていたら、それが自然と世のため人のためになっていくと思うんですよね。
映画見てるのが世のため人のため?
DVD借りたり、映画館に行ったりして経済を動かしているのだから、いいじゃないですか。
そして、映画を見て心が豊かになったところで家族や近所の人、職場の人にその幸せを分ける。
そして家族や近所の人、職場の人がそこから得た幸せをどこかで分ける。。。。
こんな幸せの連鎖の一助にもなっている。それでいいじゃないですか。
映画を見るのが社会のためではないけど、巡り巡って社会のためになっている。
だからといって、社会のために映画を見ようとは思っていないということ。
最初から大きな理念に沿った行動でなくても、大丈夫。
小さな世界から始めてみていいんじゃないかな。
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