私には音楽の才能はからっきしない。
だから人前で歌を歌うのは、他人には迷惑の極みと心得ている。
でも通信簿の音楽はいつも『5』
ピアノは昔、少し弾けたが、あれは指が動いたからであって、決して音を楽しんだりした訳ではない。
きっと、楽譜は読めたし、オーケストラの楽器の名前を覚えるのも得意だったからだ。
ここで覚えたこと、『才能なくても何とかなる・・・かも』
どうやら美術の才能も無いらしく、今は仕事で血管の絵を描くのが精いっぱいだ。
でも一度だけ、おかしなことがあった。
小学校の5年生だったか6年生だったかの夏休み、絵を2枚描く宿題があった。
夏休みの終わり、遊びに行っていた祖父の家の庭の絵を描くことにした。
一枚目、庭の灯籠などを念入りに描き込み、時間を掛けての力作であった。
だが、時間の配分を誤り、二枚目を書く時間が無くなった。
焦った私は、無くなりかけた絵具を薄めながら筆の柄を長く持ち、画用紙の上を乱暴に走らせ、アッという間に庭の景色の2枚目を書き上げた。
何となくずるをしたようで、心地が悪い。
夏休みが終わり、生徒の描いた絵が教室の壁一面に張り出された。
私の2枚の絵もそこにある。
小学校の美術部の先生が授業中に、一通り生徒の絵を見て回り、私の絵をはがしてゆくではないか、あの手抜きの絵を。
何故だろう? 天罰下るのだろうか? 不安に思うばかりである。
暫くして、その絵が天王寺美術館に、大阪の子供たちの夏休み作品集として飾られたと聞いた。
親も大層自慢に思ったらしく、私を天王寺の公園にある美術館に連れて行ってくれた。
展示室の壁に一面に、たくさんの小学校からの絵が展示されている。
その中の自分の絵を眺めながら私は、
『ふーん、そんなもんかー』と思った。
どうもそれから世の中を斜めでみる癖がついたのかも知れない。
「努力は必ずしも報われないんだろう・・・、きっと」
「深く考えても人に受けるわけでもなさそうだ・・・当然。」
「イイと自分では思っても、受け入れてもらえる訳でもなさそう・・・・多分」
可愛げのない子供だったと思う。
その後、幾星霜、人生の上に幾多の苦労を重ねた。
いつも斜めに構えて居たが、いつかは正面に回りたいといつも気にしていた気がする。
さしたる才能もなく、力もなく生きてきた。
そして今は思う。
だから『丁寧に時間を掛けて信念を貫く』、
これしかなかったのだ・・・きっと。
古びた小学校、レンガ造りの講堂の壁に掛けてあった書、記憶の片隅に残像のように残されている。
『至誠貫天地』
今は建て替えられて小さな舞台のある室内運動場になっている。
その小学校は投票所にもなっていて、今も選挙のたびに訪れる。
そこには今も同じ額が掛けてある。
見上げながらいつも思う。
『これだよなー人生は・・・結局』