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この世攻略日記

今生きているこの世をゲームのように攻略していくことを念頭に、日々の想いを書いていく徒然日記だ。よろしく

自民が強かった。

参議院選挙結果は、自民強しを浮き彫りとした形となった。

 

一般人の俺らは、思い思いのエールをまたここから、今度は

水面下や水面上でまた送り続けて、議員とともに歩きださないといけない。

 

応援の形は、さまざまあると思う。

ただ興味範囲でその萌え議員の足跡を追ってもいいし。

 

また次回、次々回の選挙につながるあゆみをしていこう。

 

必ず全部を知るひつようはない。

無理のない範囲で知る知らないを使い分ければいい。

 

それが政治をするということだ。

 

政治家だけが行使するだけでなく

一般人からする政治が力なのだから。

 

単に政治家の猿真似とか辞めよう。

自らのできることを足していって、この世の中を謳歌できるのがベスト。

 

このベストプライスレスこそ、おれらの道なのだから。

政治とは、ほんとはカネを配るよりも重要な使命は、人の気持ちに応えるなのだ。現代政治は、この後者がなかなかなされないばら撒きで終わっている。非常にもったいないことだ

 

人の気持ちとは、その人の行動でわかる。

べつに直接聞く必要はない。

 

つまり、統計がみえればいいわけなのだ。

 

だから、国勢調査から、みえてくる人々の動向と、気持ちが汲めればいいわけ。

 

べつに、無駄とはいわない。

 

いまの政治家は、その真似をする人々一般大衆も、いて、

なかなかそこまで心を汲まないで事を成そうとしてるから、

たんなる金の亡者となるのだ。

 

やばいよ

これがおれの初見

 

みんな無理くり生きてるけど、正常な血液にこそ最高のパフォーマンスを産む。

 

だから、気持ちの整理整頓を怠ってはならない。

 

だぞ。どんな状況下に置かれても、ふつうにしてればいいのだ。

 

気持ちを制御できてこそ、身体は満ちる。

さて、今日参議院選挙投票期日である。

 

みんな、投票したかな?

 

おれはひきこもりなんで、いかないよー。

 

ネット選挙が導入されたら、行くかもな。

 

さて、話は国政の在り方である。

 

札束に踊らされている昨今の国政ははなはだダメである。

 

単なる金権政治の末期症状でしかない。

 

ここで、本当の政治が仕事をするには、

 

あの理想の政治、理想の国政の在り方である、徳治政治制度しかない。

 

なんで、みんなわかり切ってるのに、金権政治を善しとするのか?

 

つまり、民意、民度が落ちているのである。

 

そこで、銃弾も発砲された昨日のことである。

ぼくはバカだ。

 

だので、すべてを事前で用意準備するのはできないのである。

 

ある夢や想定を取り掛かるとき、これは大部分を見切り発車としなくてはならない。

 

見切り発車ゆえ、自分も結構はっとするけど、致し方ないだろう。

 

それゆえ、できなくて当たり前の経験値取得に走るほかない。

 

失敗しまくって、それでも、首の皮一枚残してまた起死回生を行う。

 

この連鎖をヒートアップしていき、最後には成功をつかむという作戦である。

 

これを『生身のガトリング砲式』とでも呼ぼうか。

 

人生100年はいがいとっみじかい。

 

それにおれはもう44歳。

 

のこり56年。いかにしていきるか?

 

神に見てもらおう。・・・・

1、独りで独立建国。

 

もう安部さんさへこんな顛末になってしまった日本はやばい、

愛想つかす。だから、建国して日本を離れよう。気持ち的に

 

ここで参考案は住民票における世帯分離だ。

 

日本において日本国民から離脱する棄民。遊牧民となることだ。

 

土地とか必要ない。電脳国家スバルとして誕生させて、どこにいてもそのスバルに

繋がれられればよい。本当にまっ平らな電子国家にしたいものだ。

 

おれはやるぞ、スバル統一戦線を巻き起こしていく。

事態は後々判明していくとおもうが、この日本で銃撃で亡くなるというのは

どーいうことだろうか?

 

反対も賛成も相手がいるから旨味が出てくる。

 

根も葉もなく命を奪ってしまえるという位置の者が一体何を成そうというのか???

 

結論は、何も為せないだろう?

 

それはこっちから命を奪えば、いずれその銃弾はこっちに向かってくるわけだ。

 

その間隙で大事を成そうということは、はなはだ至難の業である。

 

人類は、血の歴史を経て、一万年以上の時を経てやりくりして今の暮らしがある。

 

この一万年で暮らしは賛否は在るだろうが、磨かれてきたのだ。

 

国家万計の大義に、この命はまた大事を成すのだろう。

 

この日本にも世界にも、いろんな色合いの人たちがいる。

 

この日本という東方の小国家において取り沙汰された今日の銃撃事件は

 

明日の良き世の中の為に無駄にしてはいけない。

 

犯行を憎むことは誰でもできる。でもそれは果たして、遠い未来を捨てるほどの事ではないと

 

僕は思う。その命は、何をかく語るか? 

 


 

命って重いの?

 

現代の日本社会では、命ってなかなか重いものとなってしまって、

安易にその命を掛ける習慣が無くなってきているとおもう。

 

この、その命を掛けて何かを成そうにも、

自分の身体への気遣いとか、もろもろを尺度として

 

なかば躊躇したような趣きとなる。

 

躊躇しながらの一歩なんてたかが知れてしまうのにだ。

 

生きているうちにその命を掛けるモノに出会ったら、

片道特攻隊さながら、突撃したほうがその命は煌めく。

 

だから、なにかその値打のモノを見つけたら、

あらゆる縛りをなくして特攻しよう。

 

命は重いままじゃ、大して飛距離が出ない。

 

0か1グラムくらいに思ってやりたいことに突撃だ。

 

飛翔する命こそ、未来への希望だ。

 

命をこそ停滞させてはならない。きらめく命こそ尊し。

もっとも新しいのは、人では?ないかと、ひとつの仮説が浮かんだ。

 

数分数秒で、沸き起こる感情や感動、それらが人の人格を構成していく。

 

一つの人格は、時間の推移とともにまた新たな人格へと成りあがっていく。

 

そして、その人らしさを醸し出す。

 

自分もまた然り、他者もそうだ。

 

そして、そんな自分と他者との交流で更なる昇華を遂げていくパノラマビジョンこそ

 

新鮮さそのものの光景だということ。

 

そこに飽くなき興味関心がひきつけられる。それは初恋のそれと似ている。

 

ひとつひとつが一点もののアレである感覚。

 

そこにおいて、おれの心と脳髄が刺激されていくのである。

 

今の現時点で関心対象が人であることは、いま はっきりと仮説となった。

 

これをもう少しの間、見つめていこうと思う。

 

そして、おれの人生の彩りを添えていこう。

ゲームも大概飽きた。

ITやパソコンも、自分では限界がある。

そろそろ潮時ではないかと、感じる。

 

次はなにが来るのか?

 

おれのこの日常をなにに費やそうか。

 

今後、ひそやかに進行させていくモノとは???

 

仕事も、金を稼ぐゲームでしかない。

 

既存の概念を超えて、その垣根から離れて思考していかなくてはなるまい。

 

今の自分の状態、感覚共有。そして一体感。

 

これらはなにに向かっていく潮流であるのか???

 

しばらくは、そのまま泳がせておく他あるまい。

 

また昔のようなことも、もはやできないからな。

 

新しいなにかを見つけないことには、動き出さないなにかだ。

 

新しい何か。。。そこに答えがあることは、変わらない。

 

新しさこそ、わくわくする感覚なのだ。おれの、そこを見つめていこう。