チームの育て方 | igetahisayukiのブログ

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オリンピックのようなエリート集団を育成するのと、会社のように与えられたチームメンバーを育てるのでは、チームの育て方は大きく異なると心得ておいた方がいい。
つまり、エリートを扱うような華々しいチーム監督の武勇伝を聞いて、単に真似してみても上手くいかないことが多いから気をつけねばならない。
エリート集団なら、厳しい水準を設け、過酷な訓練を追求しても大丈夫だ。
ついて来れない人はどんどんふるいにかけて落としても母集団がたっぷりあるし、道義的にも問題ないからだ。
 
しかし通常のチームの場合は、落ちこぼれを出さないように配慮しなければならない。
短期決戦よりも長期決戦のことの方が多いだろう。
落とすことよりも育てることの方が大局的にはメリットに繋がるし、全体の底上げを狙う方が結果的に効果的である。
 
ただ極論に走るのは危険だ。
リーダーは、いつもエリート育成と全体底上げの狭間に悩まされ、さじ加減で悩む。
落ちこぼれを出さないように常に全体の底上げばかりに目を向けていると、やる気のある有能なメンバー、つまり全体の8割に貢献してくれるだろう2割の優秀メンバーの士気が削がれてしまう危険がある。
逆にエリート育成ばかりに目を向けていると、多くのメンバーの士気が下がり、不満分子を生んで組織を崩壊しかねない。
リーダーは常に「2兎のうさぎ」を追わねばならないから大変だ。
 
その両方を狙えるような度量や視野、バイタリティを持てるリーダーならいいが、それは希な人材だろう。
そんなスーパーマン的なことをやっていたら、リーダー自身が壊れてしまう。
だから、やるべきは折衷案となる。
 
効果的な折衷案は、リーダーに着任した最初に勇気を持ってメンバーを厳選することである。
「来る者拒まず」の与えられたチームだったとしても、そのチームでこだわりたいルールや、目指しているビジョン等を明示し、共感・納得できることを前提条件に、「来る者拒まず」にした方がいい。

勇気が要ることだろうが、チームが始動してから人を切る方がより辛くなるだろうから、出だしをしっかりしよう。
道の途中でこちらから切るのではなく、船が出発する前に、自ら降りてもらうのである。
いわゆる「みかん箱にある腐ったみかんは取り除いた方がいい」という理論である。
チーム全体の底上げは、純度の高いメンバーにしてから始めるのがコツである。
だから、一気にメンバを増やすのも控えよう。
純度が濁る要因になるからだ。
 
その「純度」とは何かが次に問題となる。
 
端的に言えば、そのチームに必要な「能力」や「成長性」と、「人柄」だろう。
能力は定量的に測りやすいから、それほど問題にならない。
難しいのは、人柄の判定だろう。
定性的だし、相対的だし、主観に依存するし、見られる方も隠しやすいからだ。
 
判定するのがほぼ不可能に近いと思われる、この「人柄」を敢えて汎用的に具体性を増して評価基準にするならば、私は「自発性」と「協調性」の切り口で観察すると良いよとオススメしたい。
 
「自発性」とは指示待ち人間にならないこと。
理不尽な出来事に遭遇しても、すぐに他責にせずに、自分に出来ることを模索しようとする姿勢を持っていること。
依存心が少ない人のことである。
 
「協調性」とはエゴをコントロール出来、全体の最適化を考えられること。
常に全体に気を配り、聞く耳を持つこと。
役割分担を固定化せずに、サポートに回れるよう度量を持つことである。
 
こういった「自発性と協調性」のある純度の高いチームで始めることが出来れば、リーダーは本来の大事な仕事に集中することが出来るようになる。
それはつまり、
・戦略を練る
・重要な岐路に対して、責任を持って決断する
・風通しの良いコミュニケーションの場を維持する
の3つだ。
 
いいチームは、自然に育つものだ。