姑の話です。

 

今年は私の職場がお引越しします。

 

今までは自宅最寄り駅から電車で15分でしたが、これからは乗り換え1回ありで約50分ほどになります。

 

当然、家を出る時間が1時間早くなり、帰ってくる時間も1時間遅くなる。

 

定年までと考えると、残りあと11年間。

 

さて、姑は来月で86歳になります。

 

頭はしっかりしていますが、足腰がとっても弱い。

 

なのでゴミ出しや風呂掃除や買い物などの力仕事は私がやっています。

 

あ、ゴミ出しだけ旦那も手伝ってるけど(笑)

 

今だに何かあると『しらゆきちゃん、ちょっとおいで』って下から呼ばれますが、最近は私も『何だろ?今忙しいから後でいい?』と断れるようになりました。

 

だいたい、仕事から帰って来てご飯作っている最中とか、食後に長女や母と電話している時に声かけてくるからね。

 

そのタイミングしかないのはわかるけど、私じゃなくて旦那でもいいよね?ってことも多いので、私がダメで急ぎだと旦那にも声をかけるようになってきました。

 

その度に旦那は『何言ってるかわかんねーよ(怒)』とイライラしていますが、私はいつもその姑の対応をしているんだよ(笑)

 

自分の母親なのだから、人(私)に任せっきりはやめてくれ。

 

この先、私の両親に何かあって介護などが必要になった時に、旦那が手を貸してくれることはほとんどないと思っています。

 

父が胃がんとわかり手術することになった17年前、まだ双子が1~2歳だったこともあるけど、心配している私に旦那が言い放ったのは『双子置いて(仙台に)行くなよ』でした。

 

当時はすでに同居していたから、義両親もいたというのに。

 

義両親ですら『双子いるから(仙台に)行くのはムリだね。』だったし。

 

私も双子置いてはいけないよな~と思ってはいたけど、それでもねぇ。

 

せめて『いざという時は双子の面倒は見るから(仙台に)行っておいで。』と、嘘でもいいから言ってくれていたら、きっと今の対応はもっと違ったものになっていたと思います。

 

私が辛く苦しかった時に手を差し伸べようとしなかった人たち。

 

家族として困っていることは手助けするけど、それ以上でも、それ以下でもなく。

 

姑へ ”心からのケア” は私にはムリです。

 

つまり ”話し相手” にはなれない。

 

これは仕方ないですよね。

 

”話し相手” が欲しいのだな、と言動からわかるけど私は思い切り ”境界線” を引いています。

 

それに ”話し相手” が欲しいのなら、同じ宗教に属している義姉達がいる。

 

そんな義姉達も、嫁に行ったからかわかりませんが、姑には案外冷たい対応に感じます。

 

うん。

 

だからといって、私に依存はやっぱり違うし、私も依存されるのは迷惑です。

 

4月以降は私の職場が遠くなるので、姑が1人でお留守番する時間も多くなります。

 

やっぱり、そろそろ地域包括支援センターの手を取る時が来たのではないだろうか。

 

そう思いつつも、知らない人が出入りすることに抵抗を感じている姑にとって、逆にストレスにもなりそうだし。

 

なんて、最近は色々と考えていました。

 

が、やっぱり。

 

私が考えることではないな。

 

本人(姑)が嫌だと言っているのだから、私は今まで通り”境界線”を引いて塩対応を続け、姑が『話し相手が欲しい。1人は寂しい。』と言ってきたら、第三者を頼む、という提案をするのが一番かなと思い直しました。

 

あとは、認知症などの症状など気になる症状がみられたらかな。

 

『第三者は嫌、しらゆきちゃんがいい』という要望には答えられないから。

 

というか、私が壊れるから答えない。

 

結局、旦那も義姉たちも冷たいからって私に来るわけだからね。

 

本当、申し訳ないけど私も『離婚したら他人』、第三者とあまり変わらないのだよ。