インドでの日々は、

海の上で波待ちしているサーファーの様なもので、1つの場所で留まっているつもりでも波がいろんなところからやってくる。


あまりに多彩なその波は、人を硬く強張らせるが、あなたがいつも柔らかくその波を感じていられるのなら、そこは全く異なる世界になる。


とても興味深い世界。





さぁ、
今日もティルバンナーマライの話に戻ろう。


この町は、とても田舎でありながら2つの存在がその名を世界に届ける手伝いをしている。


1つは、“アルナーチャラ” というヒンズー教の聖山。



もう1つは、

ラマナマハリシ

という人物。


人、と書きましたが、
インドでは彼を“聖者”、“賢者”、と呼ぶ。


インド以外でも勿論日本にも沢山の信奉者がいる。




ラマナマハリシがどういう人であるかはネットで調べて頂ければいくらでも彼の話はでてくるので任せますね。


1950年までこの世に生きていた近代の人。


この時代のインドにはあまりにも聖者や賢者と今も呼ばれる存在が多い。


言うまでもなく、

現代インドの生みの親[ガンジー]。

そして、
オーロヴィルの[オーロヴィンド]や[クリシュナムルティ]、[ラジニーシ]、などまだまだ有名な名前が続けられる。


そんな大きなうねりの時代の中でラマナマハリシは存在していた。



ただラマナマハリシが一際違う光を発していたのは、“彼は何もしなかった”というコト。


勿論、自分を知るための瞑想、ヒンズー教徒としての祈りや生活はある。


“何もしなかった”というのは、外に向けて自分の考えを主張することは勿論、アルナーチャラの麓から生涯を通して出ることすらなかったということ。


洞窟にこもり瞑想をする沈黙の聖者。


少しずつどこからともなく人々が集まり、彼を信奉しその名は現代まで海を越えて残っている。



そんなラマナマハリシのアシュラムが後年このアルナーチャラの麓に創られ今も続いている。




毎日お昼になると、ご飯をみんなに配る。

誰であっても順番を待てば好きなだけご飯を頂くことができる。

本当に誰であっても。




ラマナアシュラムでの生活は、ラマナマハリシの伝達のカタチと同じで、基本的には何もない。


訪れる人が全て好きにすれば良い。



形としてあるのは、ヒンズー教シヴァ派の儀式のみ。




僕が感じたことはまた次のブログに書こうと思います☺️

もっともっと踏み込んだお話は直接話しますね🤗



ではでは。
今日の日本はどんな天気かな〜😉

インドは今日も暑くなりそうです☀