前回の続きです。
今回は柳原神池から白幡神社までです。
下図⑯から⑰方向です。
柳原神池に架かる橋です。
現在地にある案内板です。
橋を渡り⑰から⑯方向は
⑰から⑯方向です。
遠くに舞殿が見えます。
⑰付近には由比元八幡方向に
遥拝する場所があります。
下図にある由比若宮遙拝所です。
由比若宮八幡のGoogle地図です。
由比若宮遙拝所の横には
鶴亀石があります。
鶴亀石です。
「鶴亀石」は、水で洗うと鶴亀の模様が
輝き現れるといわれる縁起の良い石です
が、雨降りではないので、鶴亀の姿は確
認できませんでした。
この柳原神池は江戸時代までありません
でした。柳の生えた野原でした。
1775年に柳原に池がありません。
1921年に源平池の修復工事の時に、
柳原神池が掘られて出来ました。
源平池の太鼓橋には脇通路がまだ
ありません。
源平池のミニチュア版のようですね。
この池の周辺は紅葉の名所になって
います。
⑱に行くと白幡神社が見えます。
⑱付近から見た白幡神社です。
近づくと
白幡神社です。
白旗神社(しらはたじんじゃ)は、
正治二年(1200年)に北条政子に
より創建された、 鶴岡八幡宮の境内
末社で、御祭神は源頼朝と源実朝で
す。源氏の旗印が白幡からの命名で
す。源氏家紋の笹竜胆紋は、河内源
氏三代目の義家まででは、まだ使用
していませんでした。
逸話として
豊臣秀吉が小田原征伐の後に参拝したが、
その際に祀られていた頼朝像を見て「我
と御身は共に微小の身から天下を平らげ
た。しかし、御身は天皇の後胤であり、
父祖は関東を従えていた。故に流人の身
から挙兵しても多く者が従った。我は氏
も系図も無いが天下を取った。御身より
我の勝ちなり。しかし、御身と我は天下
友達なり。」と言うと、笑いながら頼朝
像の背中をポンポンと叩いたといいます。
今回はここまでで、次回に続く
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