鎌倉 9 柳原神池から白幡神社まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

前回の続きです。

今回は柳原神池から白幡神社までです。

 

下図⑯から⑰方向です。

柳原神池に架かる橋です。

 

現在地にある案内板です。

橋を渡り⑰から⑯方向は

 

⑰から⑯方向です。

遠くに舞殿が見えます。

 

⑰付近には由比元八幡方向に

遥拝する場所があります。

 

下図にある由比若宮遙拝所です。

 

由比若宮八幡のGoogle地図です。

 

由比若宮遙拝所の横には

鶴亀石があります。

 

鶴亀石です。

「鶴亀石」は、水で洗うと鶴亀の模様が

輝き現れるといわれる縁起の良い石です

が、雨降りではないので、鶴亀の姿は確

認できませんでした。
 

この柳原神池は江戸時代までありません

でした。柳の生えた野原でした。

 

1775年に柳原に池がありません。

1921年に源平池の修復工事の時に、

柳原神池が掘られて出来ました。

源平池の太鼓橋には脇通路がまだ

ありません。

源平池のミニチュア版のようですね。

この池の周辺は紅葉の名所になって

います。

 

⑱に行くと白幡神社が見えます。

 

⑱付近から見た白幡神社です。

近づくと

 

白幡神社です。

白旗神社(しらはたじんじゃ)は、

 正治二年(1200年)に北条政子に

より創建された、 鶴岡八幡宮の境内

末社で、御祭神は源頼朝と源実朝で

す。源氏の旗印が白幡からの命名で

す。源氏家紋の笹竜胆紋は、河内源

氏三代目の義家まででは、まだ使用

していませんでした。

 

逸話として

豊臣秀吉が小田原征伐の後に参拝したが、

その際に祀られていた頼朝像を見て「我

と御身は共に微小の身から天下を平らげ

た。しかし、御身は天皇の後胤であり、

父祖は関東を従えていた。故に流人の身

から挙兵しても多く者が従った。我は氏

も系図も無いが天下を取った。御身より

我の勝ちなり。しかし、御身と我は天下

友達なり。」と言うと、笑いながら頼朝

像の背中をポンポンと叩いたといいます。

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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