篠山城(日本100名城) 4  二の丸大書院の展示室と青山家 | みどりの木のブログ
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昨日の続きです。

今回は 二の丸大書院展示室の一部展示物

紹介です。

 

大書院の玄関です。

玄関に青山家家紋「無地銭」の旗

があります。

この右端の外側に井戸があります。

 

玄関前の井戸です。

中を撮影すると

 

かなり深いです。

 

玄関横の解説板では

 

玄関横の解説板です。

大書院は藩の公式行事に使われました。

江戸時代初期の姿に復元しています。

 

資料館の解説板です。

玄関を入ると④展示室があります。

 

今回は展示室の一部を紹介します。

 

篠山城のジオラマがあります。

 

青山家の歴史は

14世紀の南北朝時代に、初代師重は、

後醍醐天皇の孫である尹良(ゆきよし)

親王に仕えて、上野国青山郷(現在の

群馬県吾妻郡中之条町青山)に居を

構えました。その地名を取って「青山

蔵人佐」と名乗っており、これが青山

姓のルーツです。家紋は無地銭です。

その後、三河国額田郡百々(どうどう)

村(現・愛知県岡崎市百々町)に土着し、

百々城を拠点として松平氏に仕えたと

されます。記録上の初見は松平広忠

その子元康(家康)に仕えた忠門で、

その子忠成は秀忠の側近となります。

関ヶ原の戦い後、加増され大名にな

りました。 東京都の青山の地名は、

青山氏の江戸屋敷があったことに

由来しています。青山通りの北面に

宗家(篠山藩)、南面に分家(郡上

八幡藩)の下屋敷がありました。

 

1749年の前藩主松平家から青山家

への国替の様子です。

 

城の縄張図です。

江戸時代中期以降から殿守丸を本丸、

本丸を二の丸、二の丸を三の丸と名称

変更しています。やはり、本丸は徳川

家専用と考えたのでしょう。

 

河川に手を加え、その水を堀に引き込み

ました。この絵図の右半分は下図です。

 

絵図の右半分です。

 

幹線街道沿いの町屋風景です。

 

青山家に伝わる四季の書画です。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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