昨日の続きです。
今回は御下門から本丸です。
下図①の辺りです。
御下門は渡櫓門で、礎石が見えます。
現在地にあった絵図です。(上が北)
貰ったパンフレットの絵図です。(下が北)
振り返り②から①方向です。
御下門は渡櫓を復元して欲しいですね。
②から③の間の坂道です。
下図③から④方向です。
石垣の上が二の丸御殿跡です。
④の所に進みます。
振り返り④から③方向です。
左にカメラを回すと
三の丸です。
④から見た中の御門跡です。
ここには渡櫓門枡形がありました
枡形内から④方向を撮影しました。
⑤から見た中の御門枡形です。
この反対側は
下図⑤から見た二の丸です。
先に見える階段の上が本丸です。
階段下左に井戸が見えます。
カメラを左に回すと
二の丸です。
⑥から見た三の丸方向の二の丸です。
この辺りに江戸時代初期の藩主御殿
がありました。
二の丸跡の石碑です。
二の丸は江戸時代初期には本丸と
言われて、ここに藩主御殿がありま
した。下図現在地辺りです。
下図現在地辺りからの眺めです。
二の丸から見た三の丸です。
二の丸は土塀で囲まれていました。
三の丸の先が人吉市街です。
二の丸の解説板です。
二の丸御殿絵図を拡大すると
御金の間は藩主が接客に使う
金箔襖で書院造の豪華な御殿
でした。屋根は板張りでした。
この間取り図は享保の頃なの
で、1640年の「お下の乱」が
あった時は、藩主がここにいた
事になります。
享保4年は1719年です。
今回はここまでで、明日に続きます。
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