イスラエル旅行記28 昼食とシオン門 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

ダビデの塔からシオン門に移動します。

 

ダビデの塔付近です。ヤッフォ門が見えます。

この反対方向に行きます。

途中で、西エルサレムの開発拠点だった風車が見えます。

 

西エルサレム開発の拠点となった風車が見えます。

 

西エルサレム開発の拠点となった風車が見えます。

 

グーグルより引用の地図です。

ダビデの塔からシオン門に移動します。

シオン門の名前はシオンの丘に通じてい

るのでこの名前になりました。シオンの丘

にはダビデ王の墓などがあります。

 

 

 

 

 

地球の歩き方より引用の地図です。

シオン門は地図下に見えます。

 

途中、ダビデの塔近くのレストランで昼食を摂りました。

 

レストランです。

 

これは前菜です。(すいませんブレました)

メインメニューはパエリア風の炊き込みご飯でした。

 

鍋をひっくり返し、中身を大皿に落とします。

 

大皿に中身の料理を落としたところです。

使用の肉は鶏肉です。オリーブオイル・と

サフランがおもな味付けです。醤油・昆布の

出汁に馴れた私は、醤油・昆布の方が

美味しいと感じました。でも、現地の人に

はオリーブオイル味が美味しいでしょう。

 

皿に分けて取ったところです。

 

デザートのケーキです。

 

食べきれないで残っていました。

イスラエルは中近東料理が中心ですが、

各国から移住してきたユダヤ人が、もと

いた国の料理を持ち込んでいます。

なのでバラエティーに富んだ料理があ

ります。

 

シオン門に行く途中の風景は

 

 

シオン門は高台にありますが、門の近くに

ダビデの墓があります。もとはこの谷底に

ダビデの墓があったそうです。

 

 

 

これがシオン門です。

壁面に穴がありますが、これは中東戦争の時に銃撃された銃弾の跡です。

エルサレムは以前ヨルダン国の領土でした。

このあたりは長い間オスマントルコの領地でしたが、ムハンマド子孫により

ヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名を

ヨルダン・ハシミテ王国に改めました。1950年には、エルサレムを含むヨル

ダン川西岸地区を領土にしましたが、1967年第三次中東戦争でイスラエル

に奪われました。イスラムの国であったために、中東戦争ではイスラエルに

占領された地域から多くのヨルダン人がヨルダンに移住しました。現在ヨルダ

ン川西岸のパレスチナ自治区のパレスチナ人とはヨルダン人のことです。

 

通行禁止なのに車が来ました。

 

この右側は

下り坂になっています。

 

オリーブの丘から撮影した城壁内のシオン門です。

マリア永眠教会の手前に、ダビデ王の墓と最後の

晩餐の部屋があります。

 

今日はここまでです。明日はダビデ王の墓と最後の晩餐の部屋です。

 

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