河合寺城の紹介 前編 | みどりの木のブログ

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今日は河内河合寺城の紹介です。

いまは大阪府営長野公園になって、

夜桜の名所です。(今年は撮影して

ますので後日UP)

 

2018年3月28日訪問撮影しました。(夜桜は30日撮影で後日UP)

 

 

 

咲いていたタンポポの花です。

 

河合城址(大阪府全志より引用)
「石川に臨める半腹は長野遊園地となる、遊園地の上部は城址にして今は櫟山となる。

元弘二年楠正成の設けたる城塞中の一いして、駒留の松は其の馬を繋ぎしものなると

いふ。當時のものは已に枯死して、今あるものは植ゑ継がれたる稚松に其の名の殘れ

るなり。黄金塚・箸塚といへるあり、黄金塚は長者の黄金を埋めし所なりと傳へ、箸塚

は朝夕の箸を捨ててたるより成れりといふ、共に捏造附會の説にして、古墳ならん。」

 

城になる前の、平安時代には諸越長者が住んでいたという伝説があります。

南北朝時代には南朝に味方した、河合寺の僧兵がこの城を守りました。

後には大正時代には長野遊園地になりました。石川沿いには温泉が湧いて

いたので歓楽街となっていました。今も河内長野荘という温泉施設がありま

す。現在はみなさんが海外とか、もっと遠くに出かけるので寂れています。

 

西側を石川と加賀田川で守っています。(グーグルよりの引用地図です)

東側にも石川の支流が流れています。河合寺本堂地区も、本堂の背後

にある奥の院の山は、河合寺城の曲輪がありました。

①の所は両側に山が迫り木戸になったと思われる大沢街道の入口です。

大沢街道はここから数キロ行くと観心寺があり、南朝の後村上天皇がこの

観心寺で奮戦し御陵もあります。さらに大和五条市に通じでいますが、そ

の奥にはこれも南朝の本拠地である、吉野山がありました。

 

上の地図①の地点です。ここに木戸を造れば先には

侵入できません。50年前はこんな広い道路310号線

はなく、細い大沢街道でした。

 

石川と加賀田川の合流地点です。

 

この上には二の丸にあたる広場があります。

上の川の橋を渡る手前②の辺りからの撮影です。

この上が下図みどりの広場になります。

 

 

長野公園案内図です。展望台の所が本丸にあたります。

 

石川です。右側が河合寺城の跡の長野公園です。

 

右端の橋を渡ります。

 

橋から見える桜です。

 

橋を渡り少し階段を上がったった所です。中央に見える階段をさらに上ります。

 

この上に二ノ丸にあたる広場があります。

僧兵たちの生活の場だったと考えられます。

 

階段を上った所です。

 

二の丸広場にあたる所です。

公園なので回廊風展望休憩所があります。

 

ここから見える西1kmにある烏帽子形城です。

 

もう一度地図です。①が大沢街道(右下方向に大和五条市)を押さえる

ポイントになっています。

 

二の丸に当たる広場から見た背後にある山です。

この上に本丸と見張り台がありました。

南北朝時代は天守というものが無く、

代わりに見張り台がありました。

 

同上です。

この反対側は

 

 

 

今日はここまでです。明日は後編です。

 

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