津堂城山古墳と小山城の紹介1 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

今日から津堂城山古墳と、この古墳を利用した小山城の紹介です。

小山城の紹介の前に、城の元になった古墳の紹介からです。

明治の終わりぐらいに石棺などが発見され、宮内庁はあわてて発見

された後円部分を陵墓参考地にして、鉄柵で囲い、立ち入り禁止に

しました。この後円部以外は公園として整備されて、古墳に立入がで

きる。数少ない巨大古墳です。2017年2月25日(土)天候が良いの

で見学に行きました。

 

前方部(左側)と後円部(右側)があります。

梅林の花が咲いていました。

 

梅林で咲いていた梅の花です。

 

現地説明板の写真です。(約30年前の写真です)

 

現地説明板の写真です。(約35年前の写真です)

 

古市古墳群です。津堂城山古墳が左上にあります。

この辺りは大坂夏の陣で、真田幸村と伊達政宗が戦

ったところです。

 

藤井寺市津堂にあり国指定史跡(昭和33年1月21日)です。

古市古墳群の最北端に位置する、前方部を南東に向けた前方後円墳です。

明治45年には後円部で竪穴式石槨が発見され、そこから巨大な長持形石棺

や、鏡、銅鏃などの副葬品が発掘されました。副葬品の種類や、円筒埴輪の

特徴から、古市古墳群で最古の4世紀後半に造営されたことがわかります。 

 最近の発掘調査によって、二重の濠をもち外堤にも葺石を施していることや、

明確な造出しが備わっていました。また、前方部両脇周濠内には方形の島状

遺構が存在することなどが判りました。墳丘外の施設を含めると全長400m

を超える巨大古墳です。なお、北側の島状遺構には、コハクチョウのほぼ実

物大の3体の水鳥形埴輪があたかも周濠内で遊泳しているような姿で据えら

れていました。これらのことから本墳は、古市古墳群内に築かれた初代の大

王陵と考えられます

                              (現地説明板より)

 

古墳の全景です。

 

現在のグーグル地図より引用

この地図に

古墳地図です。縦の全長は400mを超えています。(下に縮尺で300mがあります)

この古墳地図をグーグル地図に貼りつけて、

回転、縮小、半透明にして重ねた地図が下です。

 

こんな感じになります。

 

内豪跡は田畑などになり、まだ残っていますが、

外豪は民家や道路になって完全に消滅しています。

 

②から撮影したところです。内濠が田畑になっています。

 

きれいな菖蒲園もあります。(写真お借りしました)

 

④の島状遺構です。丸い樹木の周りに四角の道があり、

その中が島状遺構の場所です。

 

④島状遺構の発掘写真です。

 

島状遺構からこの3体の水鳥埴輪が出土しました。

父母と子供の鳥でしょうか?

 

③から見た古墳全景です。古墳周辺には駐車場がありません。

 

もう一度古墳地図です。(下に縮尺で300mがあります)

 

⑥から後円部を見たところは

宮内庁が鉄柵で囲い、立ち入り禁止禁止の部分があります。

右側が少し登れるので

登ってみました。

 

登った所から前方部分を撮影しました。

 

宮内庁が鉄柵で囲い、立ち入り禁止の内部です。

 

⑦から後円部を見たところは

 

⑦から上写真の反対方向を見たところは

前方部墳丘の先端が見えます。かなり削られています。

 

今日はここまでです。明日は八幡神社など紹介です。

 

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