積善寺城の紹介2 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。
今日は積善寺城跡の、橋本集落の写真を
UPします。
 最初に小栗街道に接して、積善寺城があった
のでその写真からです。

下の地図の②から橋を渡り①の長屋門のある家に
歩きました。これは小栗(熊野)街道の道です。
古地図からこの道の左側に外堀があったことになります。
堀は開城後に秀吉により埋め立てられました。

門の正面です。この橋本地区はこの城の城主で
あった、出原(いずはら)さんの名字を持つ家が、
たくさんあります。子孫かどうか分かりませんが、
落城のあと、ここに戻って住みついたのかもわか
りません。そして、この家は城外です。



昨日UPの地図です


これも昨日UPの古地図との合成写真です。

その他の小栗街道の写真です


右側が外堀のあった所です


この先に長屋門の家があります。
この小栗街道の右側は幅6mの堀であった
と考えられます。今は小さい溝です。
先の方に右に曲がる道が見えます。


左が右に曲がる道です
ここを曲がって直進すると

ここを進むと


本丸のあった安楽寺です
浄土宗のお寺です。
根来衆の支配したときは、真言宗です。

中に入ると


本堂です


横に墓地がありますが、このあたりが本丸です。

さらに道を直進すると




直進すると下り坂となり、坂の下に清水大師があります。
なので、このあたりが城の外堀があったところです。
坂の上の堀になるので、堀と言うのは塹壕であった可能性
があります。9500人も立て籠もったそうなので、火縄銃が
が数千丁あったと思われます。

次に、池の方に行くと


中央の建物は橋本町会館です


池から流れ出る溝ですが、坂になって近木川に流れています。


低くなっているのが分かります。


坂を下ったところでは


高くなったところが、積善寺城の南東面と考えられます。

長いので再度地図です



次に、明教寺のあたりです

南西側の堀があった所です。
明教寺は本願寺の浄土真宗のお寺なので、
城が破却されてから出来たお寺です。この時、
根来寺の真言宗のお寺も破却されたと思いま
す。この戦いの
宗教面では本願寺と雑賀孫一
は秀吉
側に味方しています。

今日はここまでです。
明日は城の下にある清水大師の紹介です。

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