諸越長者のはなし | みどりの木のブログ

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 今回は河内長野市に伝わる諸越(もろこし)長者の話です。
ちょうど訪れた時が今年の4月中頃で、桜の散る
季節でした
(下の写真)

諸越長者の昔話は、河内長野の三日市に月輪寺(がちりんじ)
というお寺があり。ご本尊は「やくしさん」(木造薬師如来坐像)
で座高は97cm、檜の寄木造で、光背には40本の光明があら
わされています。13世紀初め、鎌倉時代初期の作品とされて、
大阪府の指定文化財になっています。


月輪寺の薬師如来

本尊薬師如来を安置する本堂の正面に「瑠璃殿」と横書きした
額があり、「河州錦部郡三日市村月輪寺縁起」という巻物が伝
わっています。それによると平安時代の初め頃に、長野村に住
んでいた諸越長者という人が、弘法大師から薬師如来を与えら
れて大切にしていましたが、長者が亡くなると妻が郷里の三日
市に戻り、お堂を建てたのが月輪寺の起こりです。
 薬師如来は鎌倉時代初期の作ということで、平安時代とは違い
ますので、弘法大師ではなく鎌倉初期の高僧から与えられたと
考えればよいかと思います。なので鎌倉時代初期の昔話と思い
ます。その内容は
 「むかしむかし諸越橋のたもとに、それは大きな屋敷があって、
諸越長者夫婦が、栄華の限りを尽くした生活をしていました。
 しかし、畑を耕したり、魚を取る庶民の暮らしがうらやましく思
えました。
あるとき、
托鉢の雲水に「どうすればあのような自由な暮らしができるの
じゃ」と尋ねました。雲水は「お前さんたちが毎日食べた後に、
その箸を屋敷の外の決まった場所に捨てなさい、そうすれば、
箸が積もって塚のようになる頃に願いがかなうでしょう。」と言
いました。そうして数十年が経つと、願いがかない、あれほど
栄えていた長者屋敷も荒れ果てました。しかし、長者は「これ
でみなと同じ暮らしができると喜んでいました」、そして、長者
が亡くなると、子供も財産もなかったので、妻は大切な仏像だ
けを持ち、三日市の実家に帰り、尼となり月輪寺を建ててそこ
で極楽往生しました。」という話です。


グーグルの地図
石川に架かる黄金橋を渡った、丘の上に諸越長者の屋敷があり、
屋敷跡の広場に黄金塚という塚があり、それが箸塚と言われて
います。


この黄金塚が箸塚と言われています。


諸越長者屋敷跡です。桜の花びらが地面に波のような模様を作っています。


同じく屋敷跡です。背後の山は今は長野公園の散策路
ですが、昭和30年の写真では、ここは長野遊園地と言い
遊具がいろいろありました。


昭和30年の写真です。展望台に登る道が両方の写真にあります。
今は大阪府立長野公園になっています。


花で満開の長野公園


長野公園です。上のグーグル地図には①の建屋があります。


グーグル写真②のところにある遊具


諸越長者屋敷跡で撮影した写真
この場所と展望台のある丘は鎌倉時代末期の1330年頃
(諸越長者の時代から150年くらい後)には、楠正成が築城
した河合寺城跡でもありますが、現在は何も残っていません。
黄金塚は楠正成が財宝を埋めたところと言われています。
展望台と月輪寺の紹介は次回にします。