ニーチェと言えば、「ニヒリズムの権化」のような哲学者だと思っていたが、このニーチェ・アンソロジーとも言うべき本書を読んだら、どうも私のニーチェ観は間違っていると言わざるを得ないようだ。
ニーチェがこれほどまでの建設的な言葉を残していたのかと驚くぐらい、本書には「人生を最高に旅する」ための示唆に富む彼の言葉が紹介されている。
中には、ニーチェらしい、皮肉に満ちた言葉も含まれてはいるが、これは読者に事の本質を理解させるために彼がわざと皮肉交じりに言った言葉であって、彼の真意は皮肉の終始ではないようだ。
もっとも、ニーチェの皮肉に満ちた言葉が、彼をして「ニヒリズムの権化」と私に誤解させたのかもしれない。(ということは、私のニーチェ作品に対する読解力が足りなかったということか・・・)
本書を読んで、ニーチェの作品を再読してもよし、またニーチェ本を読んだことのない方にとっては、ニーチェ本を読む前に本書を入門書として読んでもいいかもしれない。
ちなみに私は・・・。
ニーチェ作品を再読してみたいと思っている。
どうして、彼を「ニヒリズムの権化」なんて誤解してしまったのかを解明するために・・・。

超訳 ニーチェの言葉/著者不明
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「定理十一 神、あるいはおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体、は必然的に存在する。」(47ページ)
「証明 これを否定する者は、もしできるなら、神が存在しないと考えよ。そうすれば(中略)、その本質は存在を含まない。ところが、これは(中略)不条理である。ゆえに神は存在する」(48ページ)
スピノザの著した本書、上記の記述を読む限り、哲学書とも、神学書とも、そして倫理学の書とも読めない。
まさに、数学書というべきか。
スピノザは、このエチカにおい
て、「神の存在証明」という作業を、定理ー証明という数学的アプローチで説明しようとしたドイツの哲学者である。
彼は、「神の存在」を数学的手法で証明しようとしたため、一種の「無神論者」、「唯物論者」であるという批判を受けることがある。
だが、この批判は正しくない。
スピノザは、「神の存在」を理論的に裏付けようと試みただけなのである。だから、彼は理論をもって神の存在を正当化しようとした「理神論者」として評価されるべきなのである。
それにしても、スピノザのアプローチは奇抜すぎる。
「神の存在」を数学で証明しようとするとは、彼以外考えも及ばなかったのではないか。
もちろん、本書は「神の存在証明」だけがテーマではなく、倫理についても定理ー証明という数学的アプローチで説明している。
が、この「エチカ」のメインテーマは、やはり数学的アプローチの神学、哲学、倫理学への応用であろう。
スピノザは本来、数学者として評価されるべきではあるまいか・・・。 


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「およそ語られうることは明晰に語られうる。そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない」
ある種、挑発的なこの言葉から始まる本書、論理学の先駆けともいえる名著として有名である。
構成は、哲学書とは異なり、論理学の文章構成に極めて近い。
すなわち、文章の一つ一つが簡潔で短いものとなっている。
この文章構成が、本書を「最も明晰な哲学書」として有名にさせているのである。
ちなみに、著者のウィトゲンシュタインは、第一次世界大戦において徴兵されたとき、塹壕の中で本書を書いた、と言われている。
この逸話には異論もあるが、これが事実であるとするならば、戦場という異常な環境の中で、彼は怜悧な理性を保ちながら、この名著を著したことになる。
ウィトゲンシュタインは、この「論理哲学論考」以外の著作を世に送り出していない。
だが、この一作だけで、彼の哲学界における存在価値は不動のものになったと言える。

論理哲学論考 (岩波文庫)/ウィトゲンシュタイン
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この本、哲学書としては極めて平易なのだが、取り上げている内容は極めて重い。
「正義」とは何か?という問いかけに対して、本書は真正面から取り組んでいるのだが、そもそも「正義」のあり方、「正義」の行使の仕方には人それぞれの解釈があり、一様に論ずることは大変難しい。
例えば、本書で取り上げる「暴走する路面電車」(本書32~35ページ)のケーススタディーは、「正義」のあり方に関する重い議論を投げかける。
この例によれば、暴走する路面電車を運転士と作業員6人が止めようとしている。作業員が、線路を外して電車を止めようとするものの上手く行かない。そうこうしているうちに、5人の作業員が作業している場所に電車が突入しようとしている。5人の作業員を助けるべく運転士は止む無く電車を右側の待避線に入れようとするがさせようとするが、右側にはもう一人の作業員がいた・・・。
一人を犠牲にして5人を助けるか、それとも5人をそのままひき殺して一人を助けるか・・・。
このケーススタディーには答がない。
が、著者のサンデル氏は、正義・倫理に関する哲学者(カント、ロールズ等)を引用しつつ、答のない「正義」のあり方に真正面から取り組もうとしている。
ちなみに、サンデル氏はハーバード大学で政治哲学を教える教授で、彼の講義である「正義」は、ハーバード大学で最も人気のある授業だと言う。(NHKの教育テレビでも彼の講義は放映されたらしい)
人生、行き詰ったり、乗り越えなければならない試練に直面したとき、やはり役に立つのは哲学だと思う。
金融危機後のアメリカでは、今、哲学ブームだと聞く。
日本も同様に哲学ブームとなるかもしれない。
本書はこうした哲学ブームの先駆けとなる書と言えるだろう。


これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)/マイケル サンデル

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かつて、フランシス・フクヤマというアメリカ国務省の高官が書いた「歴史の終わり」という本を読んだことがある。
共産主義と自由主義の対立はソ連の崩壊によって終焉し、以降世界は自由主義の支配下に置かれるというフクヤマの世界観はあまりにも単純過ぎて同意できかねるものだったが、これは逆に「資本主義は崩壊し、以降共産主義に取って代わる」というマルクスの歴史観の誤りを意味するものでもあったとも言える。
ところで、フクヤマとマルクス、共にヘーゲルの影響を受けている。そして、ヘーゲルはプラトンの影響を受けている。
本書の著者である科学哲学者のカール・ライムラント・ポパーは、プラトン、ヘーゲル、マルクスの国家観、歴史観に対して痛烈、かつ論理的に批判している。
まず、国家観について、彼は「イデア」という理想国家を提唱したプラトンこそが、後の全体主義=閉ざされた社会の実現に寄与した張本人と批判する。
続いて、歴史観について、ポパーは、今度は歴史が弁証法的に発展するとする法則性を主張したヘーゲル、マルクスの歴史観を「反証不可能な主張である」として、これを一種の擬似科学として退けている。(ちなみに、マルクス及びエンゲルスは弁証法的な歴史法則を「科学」であるとして主張している)
そして、「反証」不可能な共産主義社会は「閉ざされた社会」であり、それは、「開かれた社会」の敵に他ならないとポパーは主張する。
確かに、ポパーの言うように、ある説が「科学」であるためには、その説が「反証」可能なものであり、その「反証」に耐え得るものでなければならない。
だが、マルクスの主張は「反証」可能なものではない。とするならば、彼の説はもはや「科学」とは言えない。
思うに、マルクスの主張は「思想」であって「科学」ではない。その点で、私は、上記のポパーの「反証不可能な説=擬似科学」説は、正しいと思う。マルクスの主張は、「科学」ではないのである。
だが、このポパーという哲学者、マルクス同様に、自らも「反証不可能」な説をいつの間にか展開している。

「開かれた社会」とはそもそもどのような社会なのか?

彼は何も答えていない。答えていない以上、「反証不可能」だから、ポパーのマルクス(ヘーゲル、そしてプラトン)に対する批判は到底科学的ではない。
とは言え、この本、(科学的とは言えないものの)論理的にマルクスを批判している点で一読の価値は高い。


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