人間とはどのような「存在」なのか?

そして、人間の「存在」とはどうあるべきなのか?

これらの問題提起に取り組む哲学分野を「実存主義哲学」という。

そして、実存主義哲学の書の中で最も有名なのが、ドイツの哲学者ハイデガーによる「存在と時間」である。

ハイデガーによれば、人間とは自らの「死」へと向かう存在である。

つまり、時間が経つにつれて、どのような人間も自らの「終焉」に近づく。

だが、幸か不幸か、殆どの人間が、「自分は死へと向かう存在なのだ」という意識を有していない。

すなわち、自らの人生が「有限」であるという厳然たる事実を殆どの人間は意識していない。

これは無理もない。

そもそも、自らの意志で生まれてきた人間など存在しないのだから、限られた自らの人生の意義など考えることなく日々の生活を送ることの方が普通なのである。(ハイデガーは、このような「死」を意識しない人間の存在の在り方を「被投機的存在」と呼ぶ)

だが、いかに自らの意志で生まれてこなかったとは言え、限られた人生をただ無為に生きることは、存在論的に考えれば無意味なことであるとハイデガーは言う。

そこで、ハイデガーは、意義のある「存在」を意識する考え方として、自らの「死」を意識することにより、現時点から死までの時間を自らの意志で再度自らを人生に投げ込む(これを「投機的存在への変換」と言う)ことにより、自己の存在、哲学用語で言えば「実在」の価値を探るべしとハイデガーは主張するのである。

ちなみに、ハイデガーが「存在と時間」を発表した直後、ドイツはナチスに支配されることになる。

ハイデガーも一時期ナチスを擁護したたため、戦後大いに批判されることになるのだが、批判されたハイデガーを擁護したのは皮肉にも収容所を生き残ったユダヤ人哲学者達だった。

何故にユダヤ人哲学者たちはハイデガーを擁護したのか?

なぜなら彼らこそが、収容所の中で日々自己の「死」に直面し、そして自らの実存を投機的存在にすることを運命づけられていたからだ。

「存在と時間」

二十世紀最大の哲学書であり、実存主義哲学のバイブルと言ってもいい。


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西洋で最初に国家哲学を説いた書がプラトンの「国家」であるならば、古代中国で最初に国家哲学を説いた書は曾子の「大学」かもしれない。

「論語」があるではないか、と言われる方もおられると思うが、「論語」のカバー範囲は極めて広く、国家哲学に限定した書とすれば、やはり「大学」が最初なのかもしれない。

さて、「大学」には名言が多いが、私にとって最も印象深いのは、次の一節である。


国家に長として財用を務むる者は、必ず小人を用う。彼はこれを善し為(おも)えるも、小人をして国家を為(おさ)めしむれば災害並び至る。


つまり、打算で動く、もしくは大局的見地に立たない為政者は必ずつまらない人物を登用する。そして、つまらない人物(すなわち「小人」)を利用した統治は必ず害を及ぼすという、国の統治に対する戒めである。

これは何も国家に限らず、企業や軍隊にも当てはまることだろう。

だが、歴史を見ていると、時の為政者が「小人」を登用することは多々ある。


ちなみに、「韓非子」が性悪説に基づく国家論を述べた書であるとすれば、「大学」は性善説に基づく国家論と言えるのかもしれない。


西洋政治思想史に置き換えれば、「韓非子」はマキャベリの「君主論」に相当し、「大学」はマックスウェーバーの「職業としての政治」に相当すると言えようか。


大学・中庸 (岩波文庫)/岩波書店

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「イデア」という言葉がある。
「正義」とも「理想」とも訳される。
本書はギリシャ哲学者プラトンが著したものだが、プラトン曰く、国家の政治とは賢慮の素質ある哲学者により統治されるべきである、と説く。
所謂、「哲人政治」と言われる統治思想だが、統治を担当する哲学者もまた、ある目的を持たなくてはいけない、とプラトンは説く。
それが「イデア」なのである。
言ってみれば、上杉謙信が説いた「義」と同じ意味であろうか・・・。
プラトンが国家統治のために「イデア」必要であると強調したのには訳がある。
師であるソクラテスが「イデア」なき国家により処刑されたからだ。
「イデア」による国家統治・・・。
民主主義が普及した今日においても、それはなお難しいのではなかろうか。
政治とは権力闘争を意味する。
そこに「イデア」が入り込む余地は無いからである。
だが、「イデア」なき国家統治は、もはや専制政治の温床とならざるを得ないことも事実。
やはり、「イデア」による統治は難しくとも必要な国家のあり方なのだろう。
プラトンが本書で提示したこの提言は、今でもなお追求されるべきものである。

本書を西洋哲学の入門書と言ってしまうと大いに難がある。
本書は、ギリシャ哲学(プラトン、アリストテレス)から現代西洋哲学(フーコー、デリダ、レヴィナス)まで広くカバーしているのだが、そもそも各時代に生きた西洋の哲学者や哲学思想をわかりやすく解説した本ではないからである。
もっとも、哲学の目的とは、本書曰く「考える」ことにあるのだから、「考える」ことを省略する入門書など、哲学には必要ないのかもしれない。
著者は、自称「哲学の巫女」である故池田晶子氏。
池田氏の文章はエッセイ風な...
ので、総じて読み易い。
が、この本だけは内容が難解な部分もある。(評論対象となる哲学者の哲学思想を理解していないとわからない部分が多い)
更に、池田氏の意見に同意しかねる部分もある。
プラトンに対して寛容な池田氏の意見には賛成だが、論理学の祖とも言うべきウィトゲンシュタインが「変人」扱いされていることについては到底納得できない。
だが、エマニュエル・カントの「批判三部作」(特に「純粋理性批判」)が最も難解な哲学書である点については、池田氏も痛感(?)しているようだ。
本書は西洋哲学の入門書ではないが、西洋哲学を勉強する上でのきっかけを提供してくれる書とは言えそうだ。


考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)/池田 晶子
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古代ギリシャの哲学者アリストテレスによる「詩学」、詩人ホラーティウスによる「詩論」、共に詩に関する技法について書かれたものである。
「詩学」は特に悲劇詩、「詩論」は詩全般の作詞法について書かれた書であるが、両書は所謂文学論の先駆けとも言える本と言えようか。
「詩学」において、アリストテレスは、「悲劇において、主役は人間であり、そこには神が登場することはない」と説く。
確かに、全能の神が容易に登場してしまえば、不完全な生き物によるドラマとも言うべき悲劇を成立させる余地はなくなる。
このアリストテレスによる指摘は当然すぎるポイントである。(もっとも、アリストテレスは「詩学」において上記以外の指摘もしている)
だが、「詩論」にてホラーティウスが説く、「詩は真実に基づかなければならない」との指摘は、いささか私には異論のように聞こえる。
詩、いや詩のみならず小説や演劇等の文芸作品は、そもそも真実に基づく必要はないのではないか。
ホラーティウスの指摘に基づけば、あらゆる詩や文芸作品は現実主義に偏らざるを得なくなる。
ところが、このホラーティウスの「詩論」、後に登場するフランス演劇に多大な影響を与えたと言う。
「詩学」や「詩論」の中身の是非はともかく、両書は文学の技法を基礎づける作品と言えよう。
ちなみに、アリストテレスは哲学書よりも、技法の関する書の方が有名な気がする。
この「詩学」そして「弁論術」である。
悪く言えば、「ハウ・ツーもの」の元祖だが、良く言えば、「実学もの」の礎となった人と言えようか。
詩学 (岩波文庫)/岩波書店
 
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