パターナリズム、むんてら、インフォームドコンセント、インフォームドチョイス、それから?
 という疑問。

 暮れのことである。
 知り合いが癌になって手術をした。
 主治医は「完璧」と言ったらしいが、その後メタが見つかる。
 場所的に難しいので、放射線で治療し、痛みを取るための手術をした。
 そして、抗がん剤を使うことになった。
 ということで、口腔癌も多く見てきたと言うことで、夫婦で現れたので相談に乗った。

 彼の入院にしたのは、非常に有名な某大学病院である。
 主治医もけっこう有名な先生だそうだ。

「でも……」
 と、彼は切り出した。
 どうも、その先生とコミュニケーションが取れないらしい。
 言いたいことを一方的に言う。
 本当は、もっと柔らかに言ったのかもしれないが、患者さんにはこう聞こえたそうだ。
「これから、どこに(癌の)転移が出てもおかしくありませんよ」
 こんな言葉は、患者さんには最後通牒に聞こえる。
 そして、質問をすると、その担当医は声を荒げて「嫌なら、他の病院に行っても良いんですよ」的なことを言ったそうだ。

 だから、パターナリズム、むんてら、インフォームドコンセント、インフォームドチョイス、それから?
 という疑問。
 まだ、患者さんとのコミュニケーションの取れない、そんな前世紀の遺物のような先生がいるのかと、ある意味、非常に驚いた。

 前にも何度も書いているが、私だって、同じシチュエーションで困った。
 どう、患者さんに話していいのか、どこまで患者さんの感情に応えるべきなのか、新人の時には途方に暮れていた。

 ここで、二つのパターンがある。
 恐る恐る、手探りで勉強をして、患者さんと向き合いながら進んでいく先生が居る。
 一方で、「私は何でも出来る」と思って、思い上がってしまう先生も居る。
 さあ、自分では解決できないトラブルに陥った。
 二つのパターンがある。
 ブラックジャックの斉藤君のように、思い悩んで落ち込む。
 でも、そこから蘇って、もう一度勉強をする。
 昨日の年賀状の、「學然後知不足、毅然後知困」である。
 その心境になれるかどうかは、その先生次第である。
 だから、多くの先生は、もっと簡単な二つの方法を選択する。
 威圧すればいい。
「私の治療法は正しいはずだ」
 威圧の裏側に、恐怖と劣等感を覆い隠していることにはなかなか自分では気づけない。
 半沢直樹の上司の常務みたいなタイプだ。
 威圧がきかなければ、逃げればいい。
「他の先生に診てもらってください」
 残念ながら、くだんの先生は後者を選択したようだ。

 さて、一時間ほど、お医者さんに言われてわからなかったことをひとつひとつ解説した。
 彼は、少しほっとして帰っていた。

 順天堂大学には、こんな外来がある。
 医療サービス支援センターである。
 http://www.juntendo.ac.jp/hospital/organi/second.html
 ここには、こんな理念が掲げられている。

・「天道に則り、自然の摂理に順う」精神で
  人々の生命を尊重し、人間としての尊厳及び権利を守る

 まだまだ、「教學半」。
 頑張らねばと思った。