僕も政府のお金で欧州でヴァカンスしたいです。
初日から何をしているんだか・・・。気が緩んでいるというかなんというか・・・。
さて日記の続き。
正月が明けたというのに、クリスマスイブのことを書きます。
12/24(金)
クリスマスイブ。バレンタインと並んで僕にとっては居心地の悪い日。負の方向で特別な日。
イブを特別視するのは日本くらいのもので、タイも勿論、普通の金曜日。助かる。
とはいえ、ひとまず篭城。
前日にスーパーで食材は買い込んでいましたので、完全篭城。
仕事を追え早々と夕方に切り上げ、普段通り椎茸たっぷりのトムヤンスープを食す。
夜8時過ぎ、電話が入る。流暢な英語。取引先オーナーの姪っ子のお嬢様。
久しぶりの登場。というのも彼女は、大学院の研究室のメンバーと欧州に2ヶ月ほど行っていたのです。
本人は研究機関から資金が出て、現地でもしっかりと調査したので立派な仕事だといいますが、
話しを聞いてい見る限りでは、どう考えても政府のお金を使った欧州ヴァカンス。なんだかな~。
大学院の研究テーマが国営企業の民営化だというのに、政府のお金を浪費するとは…。
まぁ、電話の内容は、夕食に行こうと。
「もう夕食は済ませた」と言ったところで、聞く耳を持たないはずなので、
ひとまず素直に従う。どうせ、身分不相応なドイツ車で家まで来てくれる。
手間がかからない、お金がかからない、それは間違いない。
なんだかんだで少しドライブして到着したのは、郊外にある池をのずむレストラン。
正直なところ、バンコクのどのエリアか皆目見当がつかない。空港の近くか?
「欧州の男性たちはみんな私を見ていた」とか、
向こうの役人との打ち合わせで、「自分の論文が高く評価された」とそんな話しを永遠と聞く。
取引先オーナーの姪っ子でなければ、特段、聞く価値がない。正直なところ。
次回の契約更新の際に、単価が上がることを願うのである。
まぁ、仕事だと割りきる。
自分の美貌と才能に自身が持てるということは素晴らしい事ではある。
僕も自分がイケ面だと主張できる人生を送ってみたい。
「あなたは、素人の割りに経済の話しが少しできる」と10歳以上年下の学生に見下されての夕食。
そんなクリスマス・イブ。
トミートさんとバンコクの豊かさを喰らう
いつの間にやら2011年スタート。
新年の目標などは僕は掲げない主義です。
色々な人に既に今年の目標を聞かれましたので、敢えて言えば「現状維持」が僕の目標です。
地味でもコツコツと、一歩一歩前進。ただそれだけ。
「飛躍」など必要ない。コツコツ、ひたすらコツコツ。
さて、日記の続き。
12/17(金)
日本で買ってきたI-Phone4のSim解除のためにMBKへ向かう。
11月にI-Phone3を不注意で破損させてしまい、日本滞在中にコントロール不能に。
中位階にある携帯電話屋さんでSim解除を依頼。
「無理です」と一言。
最新ヴァージョンはあと1ヶ月以上先でないとSIM解除ができないとのこと。
事前に、Miyaさんから最新ヴァージョンにアップデートしないように言われていたのに、
僕は、いつの間にかPCと接続した際に新ヴァージョンにしてしまっていたようです・・・。
アナログ人間なんです、僕。そして、デブなんです、僕。
夕食は、トミートさん御用達のタイ料理屋さんへ。
美味そして安価。豊かさとはこのことだ。
タイ料理が苦手な日本人は多いが、幸いにも、僕は苦手どころか、むしろタイ料理が好き。大好き。
在住期間が長いにもかかわらず、料理の名前が覚えられないのはご愛嬌。
今更、自分のCPU・HDDの欠陥に文句をつけても何も変わらない。身の丈、身の丈。
バンコクも南国ながらに冬到来。朝夕は冷え込む。半袖では厳しい。
しかし、日中は30℃超。
バンコクの四季、「普通に夏」「かなり夏」「めっちゃ夏」「天地がひっくり返る夏」の
「普通に夏」に今は該当します。
それでは、皆様、今年も宜しくお願いします。
タイマッサージ&タイ料理 幸せのハーモニー
今日から年末年始の休暇に入りました。
さて日記の続き。
極寒の日本を脱出し、目指したのはホーチミン。今年初めてのベトナム客先訪問。
二日間滞在し、バンコクへ戻る。
ベトナム、簡略化しすぎ?だって、仕事のことを書いても更につまらないブログになってしまうし・・・。
「なぜかバランスしないバランスシートのお話」
とか興味ないでしょ?
バンコクに戻ったのが、12/16の水曜日。
僕が帰ってくるのを待っている女性はいませんでしたが、
タイマッサージとタイ料理は僕を待っていてくれた。
近所のマッサージ屋さんで、いつものオバちゃんに、バキバキと体を痛めつけてもらう。
そして、最近定番になってきたマッサージの後のタイ料理。
マッサージのオバちゃんたちと意味不明のタイ語で会話。いや、全然会話にならない・・・。
まぁ、言葉は通じなくても楽しければそれでよし。
ちゃんとタイ語を勉強すれば?とのお言葉を沢山の方々から言われているのですが・・・。
仕事上でタイ語が必要ともなれば、お尻に火がつくとは思うのでが。
まぁ、要は、僕は多分一生タイ語を話せないままだと思います。
兎にも角にもバンコクに戻って、タイ料理を満喫しております。
日本滞在で体重は63Kgから67Kgまで増えました。
バンコクに戻ってきて約半月で2Kg減です。
健康診断まであと半年。
分不相応に瀬里奈のしゃぶしゃぶ
最後の日くらいは、バリッと仕事を仕上げたいところですが、
現在、このブログを客先の会議室で更新している有様・・・。最後まで社会人失格。
さて、日記の続き。
12/10(金)
多くの方々に協力の下、東海道中膝栗毛は無事に終了、地元に戻る。
迎えてくれた父と瀬里奈でしゃぶしゃぶ。父の財力にひれ伏す。
http://www.seryna.co.jp/
霜降りのお肉が舌の上でとろける。歯で噛む必要が無い。
「このお肉、飲める!」と言っても過言ではない。
酢醤油、胡麻ダレ、チョイ辛胡麻タレの三種のタレとお肉のハーモニー。
平日のお昼に最高の贅沢。
ご馳走様でした!
本来であれば、親子で晩酌がお決まりのパターンなんでしょうが、
親子で下戸。ということでお茶です・・・。
なんだかな~。
次回の帰国の際にも宜しくお願いします。
これにて、今回の日本帰国日記は終了。次回の帰国は2月です。
刑部の覚悟の死、治部の無念の死、関ヶ原に参陣。
クリスマスが嵐のように過ぎ去り、あとはお正月に向けてどこまで仕事をするべきか。
既に一部の関係者は休暇に入っている。羨ましいな~、と思いながらも、既に僕もペースダウン。
こんな僕のスピード感が国際標準だと思うが、日本人はラストスパート中?
さて、日記の続き。
追記:今日の記事は普段に増して独りよがりな内容になってます。
正直なところ、読む価値無いです・・・。
12/9(木)
Utada☆さんにお世話になりっぱなしの東海道中膝栗毛。
最終日は、バンコク戦国同好会の聖地関ヶ原へ。
Utada☆さんと僕は、バンコク大食い同好会の創設期メンバー。
その名に恥じぬよう、朝から牛丼。街道沿いの吉野家へ。多分、僕は3年ぶりの吉野家。
やはり合戦の地へ向かう前は、たっぷり栄養補給。牛丼大盛り。
ちなみに、誰も興味ない話でしょうが、
関ヶ原の戦いで勝利した東軍の勝因の一つに「充実した兵糧」を挙げる学者もいます。
東軍は、大阪から会津征伐に出兵し、そこから一気に引き返して東海道を駆け上がってきています。
その際の兵糧の確保には本来であれば苦労したはず。
しかし、あの豊臣家子飼いの家臣福島正則が、
豊臣家から預かっていた兵糧20万石を家康に差し出しているのです。
そんな地味だが、非常に重要な裏切りがあったわけです。
正則もまさか、江戸幕府開幕後まもなくして、
徳川家から難癖をつけられてお取り潰しになるとは予想していなかったことでしょう。天罰です。
すみません、ついつい熱くなってしまいました。
関ヶ原では、史料館を見学し、その後は、関ヶ原の大地を、脳内布陣とつき合わせながら、
あそこに宇喜多秀家、あの山麓に小早川秀秋、あの建物の周辺に井伊直政などと、
ブツブツと呟きながら時を過ごす。
ひとりで戦国ワールドに入り込む。
Utada☆さんも怪訝な顔。完全に狂人扱いされる。当たり前だ。
関ヶ原で完全に戦国スウィッチがONになった僕は、その勢いで大垣城へなだれ込む。
Utada☆さんを車に残し、城郭内を散策。
大垣城は、関ヶ原当時は伊藤氏の居城。西軍側の武将です。
三成をはじめ西軍は、最初は大垣城に入城。
城攻めを得意としない家康は、野戦に持ち込むために、関ヶ原に西軍を誘い出したといわれています。
江戸時代は、戸田氏の居城となる。騎乗の武将は初代藩主戸田氏鉄。
治水工事や新田開発で大きな功績を上げ、大垣藩は公称10万石であったが、
数字以上に豊かな藩であったようです。
大垣城を落城させ、帰路につく。そしてなぜか食べた家系ラーメン「山岡家」
東海道中膝栗毛。これにて終了。Utada☆さんに感謝。ありがとう。本当にありがとう。
南知多「白砂の湯」で荒んだ心を洗う。
昨晩は、タイ人ファミリーとX'masパーティー。歌い、踊り、そして飲む。楽しい宴でした。
さて日記の続き。年内にどこまでリカバリーできるか。
12/8(水)
順に神戸まで西へ下っていたのですが、突然の転進。東へ。
実は、味噌中毒の影響で一刻も早く東海地区へ戻る必要があったのだ。
そして、この日は、日本滞在18日間で唯一の完全オフ。
Utada☆さんに「味噌煮込みうどんを食べたい」から連れて行ってと依頼。
しかし、お奨めのお店は定休日。方針変更し、知多ラーメン。
Utada☆さん、来年は、あの味噌煮込みうどん屋さんに行きましょう!
そして、そして、この日のメインイベントは温泉。
南知多「白砂の湯」へ。 http://shirasunanoyu.jp/
伊勢湾に沈む夕日を眺めながら、日頃のストレスを湯に流す。最高の平日。
ん~、なんともこの写真では全く伝わらない。
絶景の露天風呂。雄大な伊勢湾。鈴鹿山脈に沈む夕陽。
平日の温泉、さすがに客はほぼゼロ。
露天風呂で、地元のお爺ちゃんに話しかけられる。
っていうか、お爺ちゃんの方言、ほぼ理解できない・・・。
でも、無視するわけにもいかない。Utada☆さん、逃亡。こら~、僕を置いていかないで~。
結局、お爺ちゃんとは、二十分くらい話したかな。
共通の言語を持たない人間同士のコミュニケーションは、「笑顔」と「ノリ」で乗り切れる。
ブラジル・タイと言葉が分からない国での8年間の生活経験が役に立った!
温泉でストレスと心の汚れを洗い流した僕らは、名古屋へ。
僕の味噌中毒症状が悪化したため、味噌摂取のために「矢場とん」へ。
大盛りを通り越して「ワラジ」というサイズを選ぶ。
ご飯も、日本昔話級。これ、普通のお茶碗サイズではないですよ。あくまでもドンブリ。
日本では、バンコク大食いの会総帥Spyker氏と、バンコクメタボの会名誉会長Utada☆さんと
一緒に食事をしたので、僕も普段以上に大食いに。体重が、危険水準。
過去最大級の充実した平日を友と過ごす。最高じゃないか。
Utada☆さん、ありがとう。本当に、ありがとう。
通天閣を攻略し、翌日は神戸に攻め上がる
イブの夜は仕事をする予定でしたが、
突然のお誘いがあり食事に行ってきました。ただ、それだけです。
そして今日は、友人のタイ人家族とバドミントン。
さて日記の続き。
12/7(火)
日立製作所の通天閣を落城させ、翌日は神戸へ。
三宮駅近くの家庭料理のお店で、昔通った塾友達アヤコさんと再会。半年ぶり。
新しい彼氏の情報収集。付き合って間もない彼女が眩しい。
っていうか、この子は、人生で一体何人の男性から告白されるのだろうか。
幸せの偏りへの不公平感、ここに極まる。
美人って言うのはお得な人生だ。これは裏返すと我々男性陣の稚拙な思考回路を証明する形に・・・。
35歳になって、頻繁に男性から告白されるのってレアケースだと思います。この幸せ者!
次回は、3月にまた神戸に行きます。その時はまた宜しく!
昔の塾仲間と、この年になってまで交流を持てる僕は幸せ者。
日本で友に恵まれ、タイで友に恵まれ。いい人生だ。
岡崎城を攻め落とした後は、日立の通天閣を攻略
こんにちは。
年末へのカウントダウン開始。野菜鍋中心の生活で、少し体重減。のような気がする。
さて、日記の続き。
12/6(月)
夕方、新幹線で再び更に西へ。
大阪に到着。プンプイ君と久しぶりの再会。あれ、久しぶりじゃないぞ。数ヶ月ぶり。
結婚した後も、コンスタントにバンコクに現れるプンプイ青年。珍しい存在だ。心の広いお嫁さん。
僕の嗜好を理解しているプンプイ君。梅田でも難波でもなく、夕食は通天閣周辺。
通天閣周辺は、大阪のホイクワンとの説明を受ける。
梅田や難波は、サイアム、アソークに該当するらしい。
大阪の各エリア事情に疎い僕も、バンコクで例えると理解が早い。
日本第二の都市、大阪。通称、天下の台所。
食の街、大阪に失礼の無いように、今宵は大食い、食い倒れの儀式。
人生初の串カツ。ここに至るまで人生の半分弱を費やした。
パクパク、ひたすらパクパクと揚げ物を。
アクセントに、韓国系一品料理。そう、大阪といえば、日本における韓国料理の中心地。
馬刺しもパクパク。キムチ鍋のパクパク。
通天閣には「安心と信頼の日立グループ」との広告。
なぜに日立!?大阪と日立、なんだか結びつかない。
だからこそ、敢えて日立はここに広告宣伝費を突っ込んだのかな。
兎にも角にも、通天閣でプンプイ君と楽しいひと時。食い倒れミッション、完了。
ありがとう、礼儀正しき青年、プンプイ君。再見@バンコク。
バンコク戦国時代同好会、岡崎城を攻める。
銀行から、いいお話がありますので、是非、支店まで足を運んでください!と電話。
「そっちが、こっちに来んかい!」と叫びたいところだったが、丁重に「宜しくお願いします」と返答。
さてさて、日記の続き。
12/4(月)
バンコクには戦国時代同好会がある!
Zibu君を会長とし、私が事務員として暗躍。なまず先輩も会員なはず。
今回の日本滞在の大半を過ごした中京・東海エリア。
そして、この三河・尾張といえば、戦国時代ビック3を輩出したエリア。
家康は完全に過大評価であるが、戦国時代最強の頭の回転といえば秀吉。
その秀吉を身分制度を打ち破って登用した信長はもっと凄い。
っていうか、その時代に楽市楽座って強烈!僕は尊敬します。
信長公には是非とも現代に降臨していただき、公務員改革を成し遂げてもらいたい。
って、そんな話はどうでもいい。
バンコク戦国時代同好会事務員の私は、Utada☆さんの協力の下、岡崎城へ。
「腹が減っては戦は出来ぬ。」この言葉を口実に、食いしん坊は懲りずに「味噌カツ」に突撃。
Utada☆さん、ご推薦の「吉峰」というお店。
ここ、僕が今回食べた味噌カツでナンバーワン。
トンカツをお腹におさめて、食後の缶コーヒー。
気分が良くなったところで、お昼寝という選択もあったが、一気に城を攻め上がる。
この岡崎城は、家康の祖父である松平清康の居城。
家康はこのお城に産まれました。
徳川が関東に転封になった後は、豊臣家臣である田中吉政が城主になる。
この吉政は、関ヶ原の戦いでは、豊臣家を裏切り東軍に参加。
最終的には、逃走中の三成を捕らえるとう功績を挙げた。
裏切り者の印象の強い吉政ではあるが、内政の手腕は高く、
岡崎市の整備、そして、後に移ることとなった柳川の都市整備で評価の高い人物なんだそうです。
って、誰も興味の無いことを書いてしまった。徒然なるままに。
結論ですが、織田信長が現代に生きていれば、みんなの党に入党したんだろうな~、と。
味噌に始まり、味噌に終わる。東海道中膝栗毛、平成版。
バンコク在住日本人の99%が奥方や彼女と過ごしている中、
非常に地味な休日を過ごしております。
戦国合戦物のDVDを見ながら、
「きゃ~、三成!ガンバ」「刑部~」「憎きたぬき家康めが!」
「正則、清正、裏切り者!」などと叫んでいます。
さて、日記の続き。
11/30(火)~12/3(金)
中京・東海地区に滞在。
そう、そこは味噌食文化圏。
味噌煮込みうどん、味噌カツ、味噌ラーメン、赤味噌のお味噌汁。
日本人が一年間に食べる味噌の量を僅か一週間足らずで摂取!
最初は、味噌カツが斬新で大満足な僕でした。やっぱデブに、豚肉は良く似合う。
↑山本屋の味噌煮込みうどん。食欲が抑えられなくて、食前の写真なし・・・。
食いしん坊って、料理が運ばれてくると、思考能力が停止してしまうので・・・。
もう最後のほうは、味噌料理が食べたい!というより、体が味噌を欲している感じ。
味噌中毒。味噌禁断症状。味噌万歳。味噌至上主義。味噌原理主義。
僕の味噌馬鹿に同行してくださった方々、お店を紹介してくださった方々、
色々とありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。
そんな東海道中膝栗毛、平成版。