2011年10月29日:パート6

 午前零時過ぎ。 正確には、10月30日だ。 熱いほうじ茶をすすりながら、その13に突っ込む。 さすがに、指が痛い。 あんまり無理すると、腱鞘炎になってしまう。

 応接室のテーブルを挟んで、中曽根会長と向き合っていた。 2人だけで、40~50分は話したと思う。 「本当に申し訳ありませんが、会長がおっしゃったような理由では、到底、納得出来ません!どうしてもというなら、議員会長の権限で政審会長である私をハッキリと更迭してください!」 その言葉に、中曽根会長は戸惑っていた。 本当に困っている姿を見て、申し訳ないと思った。 

 それでも、「ハイ、分かりました!喜んで辞めます!」などとは、冗談でも言えなかった。 1年前の議員会長選挙で、必死に飛び回った記憶が脳裏をかすめた。 あの選挙に勝つために、生まれて初めてカーペットの上で土下座した。 中曽根会長はそこまで知らないだろうなと思った。 BS11の斬新な企画、ようやく定着した記者会見、政審PTのこと、睡眠時間を削って各議員の質問内容をチェックして来たこと等が、次々と頭に浮かんだ。 これもあれもやらねばならない。 途中で放り出したら、これまでの苦労が水の泡だ。 そういう気持ちが強かった。

 中曽根会長に、こんなことを言った憶えもある。 「過去1年の間には、私の言動が物議を醸すこともありました。特にブログについて、いろいろ心配されていることも知っています。諸刃の剣ですから、反省すべき点もありますが、逆に中曽根会長を批判する勢力への抑止力として働いていることも事実だと思っています!」 

 さらに、こうも話した。 「だいいち、中曽根会長が本当に窮地に陥った時、私の他に、損得抜きで、政治生命を賭けて戦ってくれる政治家がどれだけいるでしょうか?!私以外に身を挺して中曽根体制を守れる戦闘力と発信力を持った議員がいるでしょうか?!」

 中曽根議員会長は、終始、厳しい表情で聞いていた。 何度か頷いていた。 短い沈黙の後で、言葉を絞り出すようにつぶやいた。 「一太さんの言うことはよく分かる。基本的には、そのとおりだと思う」と。 「気持ちはよく分かりました。引き続き、話をしましょう!」 中曽根会長のこの台詞で、中曽根ー山本会談が終わった。 実を言うと、自分が本当に辛かったのは、ここからだった。(ため息) そのことについては、その14で。

追伸:
1.仮に中曽根会長が本当に腹を割ってあらゆる事情を話してくれていたら、真意を打ち明けてくれていたら、自分の反応は違ったものになっていたはずだ。 たとえば、「私には、こんな戦略がある。だから、何があっても、議員会長に残りたい。後任は00派と話し合っている最中だ。その中でこんな話が出ている。だから、どうしても今、身を引いて欲しい!」とか、「00氏を動かすと、所属派閥が反発する。そうすると収拾がつかなくなってしまう!」とか...。 そこまで、隠さずに(?)言ってくれていたら、納得せざる得なかったかもしれない。 悲しかった(=悔しかった=情けなかった)のは、中曽根会長が、「全てを包み隠さず話してくれている」とは思えなかったことだ。(ガックリ)

 中曽根議員会長を批判するようなことはしたくない。 が、ちょっとだけ、手厳しいことを言わせてもらう。 政治家を説得するには、それなりの覚悟がいる。 ましてや、1年前に必死で自分を押し上げてくれた味方を(本人の意に反して)切ろうという話だ。 そんな表面的なやり方で、相手を納得させられるワケがない!

2.中曽根会長にこんな質問をぶつけたことも、今、思い出した。 「会長、まさか、他の政治家の面子を保つためとか、誰かとのバランスを保つためとか、そんな理由で私を政審会長から外すなどということは、ありませんよね?誰かとそんな約束をしてしまったとかいうことも、ないですよね?」 中曽根氏は、「そんなことじゃありません!」と断言していた。 この言葉を信じている。


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