2011年7月31日:パート5

 東吾妻町で南波和憲・県議会議長に会った後、中澤恒喜・東吾妻町長の自宅を訪ねた。 中澤家は150年以上続く名家だ。 草津町の町議だった亡父(山本富雄)が吾妻郡選出の県議会議員になれたのは、大物県議だった町長の先代にスカウトされ、跡目を継がせてもらったからだ。 先代もそうだったが、中澤町長には(仕事はきちっとしているが)あくせくした感じがない。 ここらへんが、町民に愛される理由だろう。

 東日本大震災(群馬は震度5)でもびくともしなかった「築150年以上」の木造の家の畳の居間で、町長と向き合った。 ここにも、取材のテレビカメラが入った。 ガッチリと握手をしながら、「これからも、ぜひ応援してください!」と真っすぐにお願いした。 町長は、「もちろんです!」と応じてくれた。

 東吾妻町は、東日本大震災の後、率先して多くの福島県民を受け入れた。 「被災地の人々のために、町として少しでも出来ることをやってあげたい!」という町長の強い気持ちで実現した。 少し前に、町内の2つの受け入れ施設を視察した。 南相馬市から避難して来た方々に囲まれた。 涙ながらに、「山本さん!家の様子が心配だけど、一度も帰れないでいる。何とか一時帰宅出来るようにして欲しい!」とお願いされた。 被災住民に対する仮払いも含め、政府には、もっと迅速に行動してもらいたい!!

 あ、パソコンのバッテリーが切れかかっている。

追伸:中之条町長やこの地域の後援会長とは、改めてアポを取る。

  
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