2008年1月13日:パート3




 午後7時30分。 東京行きの新幹線に乗った。 車内はスキー帰りの若者や家族連れで満席の状態。 お洒落なダウンジャケットを着たまま眠っている大学生のカップルを見ながら、ふと思った。 「ああ、このシーン、懐かしいなあ。」 一瞬、30年前にタイムスリップした。

 

 毎年冬になると、大勢の友人たちが故郷の草津温泉にスキーにやって来た。 大学の同級生、語学スクールの仲良しグループ、音楽仲間等々。 3、4人で遊びに来る時もあれば、20人近いグループで押し寄せる(?)時もあった。 信じられないことに、あの頃は「20歳」だったのだ。 東京に戻る列車の中でトランプをしたり、会話に熱中したりした。 「お前、あんな自然のきれいなところで育ったなんで、ラッキーだよなあ。」「一太君、見直したわ。スキーやってる時は別人みたいにカッコいいんだもの!」(*考えたら、失礼なセリフだ。(笑)) 親しかった人々の表情や声が蘇って来た。

 

 話は変わるが、選挙区を歩きながら、改めて思う。 半年前の「あの選挙」で、政治家山本一太は「様々な呪縛」から開放された。 政治家として「解き放たれた」と。 群馬県の政治を牛耳ってきた「既得権益集団」(老害政治家や利権屋ピープル)は、「あいつの票は絶対に減る!」とか、「次の選挙では落選させてやる」などと息巻いていた。 が、フタを開けてみると、山本票は一票も減らなかった。 それどころか、20万票近く増えた。 「大きく減る」と吹聴されていた「高崎地区」でも、大幅に票を伸ばした。 何しろ、盤石の組織で5回目の当選を果たした現職の高崎市長が「新高崎市」で獲得した票を(僅かながら)上回ったのだ。 同時期に行われた群馬県知事選挙において当選した自民党公認候補の得票、さらに群馬県の比例区で自民党に投じられた総得票数も、それぞれ20万票以上引き離した。

 

 大袈裟に言うと、もう「政治家として思い残すことはない!」という心境だ。 何度かこのブログに書いた。 次の6年間(正確には5年半)は、いかなる権力者も「捨て身の参議院議員」をコントロールすることは出来ない。 逆に言うと、「偉い人々の顔色」をうかがいながら政治をやるつもりは毛頭ないということだ。 え? もちろん、もう2度とやらない! 味方のフリをしてずっと自分の足を引っ張ってきた(しかも水面下ではライバル陣営の候補者を応援していた)地元の「ミニ政商」や「政治ブローカー」みたいな連中にペコペコしたり、ご機嫌をうかがったりするなんてことは!! いつか、「実名」ですべてを書いてやる...なんてことは考えていません!!(苦笑)

 

 あ、もうすぐ東京駅のアナウンス。 続きは次回のレポートで。




追伸:「古い政治の権化」みたいな政治家が、「金権政治や利益誘導政治はいけない!」みたいなことを言う。 「笑わせちゃあいけない!」と思う。  「あんたこそ、悪い政治をはびこらせてきた張本人じゃないか。回りの人間は皆、そう思っているんですよ!」と言いたい!!!




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