今日、45歳になった。党の部会を終えて参議院会館の部屋に戻ると、友人達から花やバースデー・メール&ファックスが届いていた。今さら誕生日を祝う歳でもないが、自分の生まれた日をちゃんと覚えてくれている人が、こんなにいる。わざわざカードと花を届けてくれた友人もいた。やっぱり嬉しいもんだ。それはそうと、山本一太は実年齢より相当若く見えるらしい。童顔だからなのか、それとも精神年齢が低いからなのか。理由はよく分からない。

 移動中に何回も携帯が鳴る。「お誕生日、おめでとうございます。」「どっかでお祝いやろうよ!」「えー、45歳?まだ30代後半だと思ってましたよ!」(これはちょっと大袈裟だ。)それにしても、四捨五入すれば50歳。小さい頃は、高校生でさえずいぶん大人に見えた。まして45歳なんて、「恐るべき年寄り」だと思っていた。

 「若手議員」とか「若手論客」とかいうジャンルからは、いよいよ卒業しなければならない。だいたい40代、50代の政治家が「若手」などと呼ばれていること自体がおかしい。英国のト二—・ブレアは、確か43歳で首相になった。若手政治家と呼んでいいのは、30代以下でしょう。当選2回(7年)で40代と言ったら、もう立派な「中堅議員」だ。

 昨晩、いつも勉強会で一緒になる気鋭の某研究者(元政治記者)が、「お世辞抜きで、山本さんのようなタイプの参議院議員は見たことがない」と言っていた。「個性がうまくポジティブに回っている。ほら、よくいるでしょう。個性がすべて裏目に出る政治家ってのも。」そういえば、先日もある集まりで、某先輩議員から声をかけられた。「あんたは参議院議員としては異色だよな。あのガチガチの参議院で、よくまあ次々といろんなことをやれるもんだ。いや感心するよ。」と笑っていた。

 こうしたコメントは、素直に「褒め言葉」と受け止めたい。もし、他の参議院議員より奔放に振る舞っているとしたら、それは心のどこかに「あと5年間で政治活動を終わっても後悔しない」という覚悟があるからだと思う。参院は年功序列と前例主義の世界だ。しかも、一種の暗黒時代。当分の間、ポストで優遇されることはないだろう。そうしたハンデ?を背負っても政治家として活躍してみせるという気迫が、自分の議員としてのモチベーションに繋がっている。

 自分自身は、衆議院議員に対するコンプレックスは全く持っていない。参議院議員だということをあまり意識していないし、不都合を感じることも、ほとんどない。が、一般的に「参議院は衆議院ほどスポットライトが当たらない」ことも、「参議院議員が政界の第二級市民として扱われている」ことも、厳然たる事実だ。ある政治記者がはじめて議員会館回りをした時、先輩記者から、「あっちの会館(参議院議員会館)に行く必要はないから」と言われたそうだ。親しい若手の衆議院議員は皆、本音では「参議院なんて、ないほうがいい」と思っている。

 参議院議員の可能性と限界については、改めてレポートにしたいと思う。ここではひとことだけ言っておこう。今の参議院の状況を考えた時、参議院議員として本当に活躍したいのなら、山本一太スタイルで「突き抜ける」しかない。さもなければ、「飼い殺し」にされるだけだ。