昼。久々に参院自民党の執行部会にチラリと顔を出した。出席者は比較的少なかった。国対の同僚達も、選挙区の手入れをしたり、海外視察をしたりして、国会の夏休みを有効に使っているようだ。




 数日前、選挙対策本部長として和歌山市長選挙を勝利に導いた世耕弘成参院議員の姿を見つけた。席に歩み寄って握手をする。前職の旅田市長を破った選挙戦略は、見事なものだった。何より候補者の資質が素晴らしかったようだ。




 選挙の候補者といえば、国政や首長選挙で何度も自民党候補を勝利に導いた、自他ともに認める選挙のプロである某先輩議員が、「選挙というものは、(特別な場合を除き)必ずタマ(候補者)のいいほうが勝つ!」と言っていた。その通りだと思う。ただし、候補者の良し悪しを決めるのは他の政治家でもなければ、評論家でもない。実際にその選挙で一票を投じる国民(有権者)ということが前提だ。




 「中央の仕事と選挙は別だから...」というのが、選挙の苦手な政治家の常套句だ。が、果たしてそうだろうか? ポスト(たとえば一人の大臣)の影響力というのもないことはないが、国会でどんな法律を通すにも、どんな制度を作るにも、どんな税制改正を行うにも、また政局でどんな動きを起こすにも、まとまった数というものが必要だ。総裁選挙や党首選挙に立候補するにも、20名以上のサポーターを揃えなければならない。そう考えてみると、政治というものは、結局、自分がやりたいことのために、各方面、特に同僚議員からどれだけの支持を集められるかがポイントになる。




 考えてみてほしい。選挙区の有権者(国民)を惹きつけられない政治家が、どうして中央政界で同僚議員や官僚達の気持ちをつかめるだろうか。選挙民の心を動かせない政治家の言葉が、どれだけの仲間を説得出来るだろうか。実際、ベテラン、新世代に関係なく、中央で活躍している元気な政治家を見ると、例外なく選挙に強い。とは言っても、最初から選挙が得意だった人ばかりではない。新人の頃は選挙に泣かされたが、経験を積み、実績を重ねる中で有権者からの支持を磐石なものにしてきた議員もいる。




 それでもやはり、政治家の覇気と選挙地盤の固さというのは、間違いなく比例関係にある。選挙の弱い政治家が中央で思いきった活動が出来ない理由が、よく言われるように選挙区のことばかり気にしなければならず、特定の支持団体や既得権益に弱いからということは言うまでもない。が、逆に言うと、(キツイ言い方だが)他の国会議員や政府を動かす個人的魅力に乏しいということでもある。




 自分は「パフォーマンスが下手だから」というのも、よく耳にする言いわけだ。一見聞こえはいいが、これって政治家本人の努力不足を暴露するようなセリフだと思う。このグローバル化の時代、透明性とアカウンタビリティー(説明責任)が求められる時代に、自らのやってきたことを発信する知恵もアピール力もなく、またその努力もしない議員が、有権者に評価されるはずがない。「発信力」こそ、派閥の旧来のメリット(ポストと資金)にかわる「求心力」になっていくことを考えれば、なおさらだろう。




 旧大蔵省の若手管僚から政治家に転身した民主党の若きホープ、古川元久衆院議員が、「官僚を騙すのは難しくない。ちょっと優越感をくすぐってやればいい。でも、選挙区の人はけしてごまかせない。誠意のない気持ちはすぐ見抜かれてしまう。」と話していた。旧大蔵省といえば、最高のエリート官庁。旧大蔵官僚出身でも、こんなセンシティビティーを持った政治家もいる。古川さんは、これからも選挙に勝ち続けるに違いない。




 だから、政治家は選挙に強くなければならない。5年間で政治活動を終わってもいいという覚悟は覚悟として、引き続き、地元の有権者(国民)にとっても、他の政治家からみても、魅力と求心力のある国会議員を目指していきたいと思う。