世界史の人物を紹介します。
今回は、 アショーカ王 です。
は、山川の教科書のP56、《統一国家の成立》で登場します。
●いつの時代?
BC268年(在位)
●どこの人?
マウリヤ朝
インド人
●何をした人?
マウリヤ朝は、インド東部で興りました。
アショーカ王は、マウリヤ朝の王様です。
●インドの文明の起源
インドの文明といえば、インダス文明です。中学校で習うと思います。
インダス文明は、BC2600頃、インド西部のインダス川流域で興ります。
モエンジョ=ダーロ(僕はモヘンジョダロって習いましたがね)が有名ですね。
このエリアは、古来からのインド人(ドラヴィダ人等)が住んでいましたが、BC1500年頃になるとアーリヤ人が支配するようになります。
アーリヤ人は、肥沃な土地を求めて少しずつ東方に移動していきました。
BC6〜4世紀頃になると、ガンジス川の中下流に移動します。
ガンジス川中下流では、鉄を採掘することができました。
そして、このエリアに都市国家が興ります。マガダ国です。
ちょうどこの頃、インドのはるか西、ギリシャ周辺では、アレクサンドロス大王が領土を拡大していました。
アレクサンドロス大王は、BC334年、東方遠征に出発します。
そして、BC330年にアケネメス朝ペルシアを滅ぼします。
アレクサンドロス大王は、これに満足せず、インドまで遠征範囲を広げます。
マガダ国は戦々恐々です。
ところが、BC326年、アレクサンドロス大王は、インド征服を諦め、引き返すことになります。
そして、帰国途中で死んでしまいます。
インドの都市国家は胸をなでおろしたと思います。
これでアレクサンドロス大王の脅威が去ったわけですが、インドの西側には、ギリシャ人による都市国家が成立していました。
この状況はインド人としては面白くありません。いつ攻めこまれるか分からないからです。
ギリシャ人の脅威を追い払うためには、まずは、インドの東側を統一する必要があります。
これを実現したのがチャンドラグプタです。
まず、チャンドラグプタは、BC317年頃、マウリヤ朝を興します。
チャンドラグプタは、インド東部を統一します。その後、インド西部のギリシャ人を追い払います。
こうしてマウリヤ朝は、インド初の統一国家となります。
そして、アショーカ王は、チャンドラグプタの孫にあたり、マウリヤ朝の3代目の王様です。
領土最大を実現しました。
●仏教信仰
アショーカ王は、マウリヤ朝の領土最大を実現したくらいですから、戦う人でした。
しかし、アショーカ王は、仏教を信仰するようになります。
そして、武力による支配を放棄します。
では、何をやったのか?
アショーカ王の政治を話す前に、仏教について少し説明しておきます。
仏教は、ガウタマ=シッダールタが開いたものです。
ちなみに、ブッタガヤという場所で悟りを開いたので、尊称はブッダと呼ばれていますし、シャカ族の出身だったので、おシャカ様とも呼ばれたりしています。
キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教は、神様を崇め、救いを求めることで、苦しみから解放されます。
一方、仏教には神様は存在しません。仏教は神様を崇める宗教ではないんです。
ざっくりと言えば、「物事は自分の思い通りにはならない」という真理を悟る宗教です。
そして、悟りの境地に到達するためには、精神修行が必要です。
修行を重ねることで煩悩を無くすわけです。
つまり、苦しみの根源である煩悩を修行により無くすことで、様々な苦しみから解放されるというわけです。
現在の日本の仏教は、極楽浄土に行くための宗教になっています。そして、開祖であるガウタマ=シッダールタを神化しています。
この辺は、キリスト教と同じですね。
でも、そもそもの仏教というのは、宗教と言うよりも、どちかというと哲学的だったんです。
さて、アショーカ王の話に戻します。
アショーカ王は、仏教の教えを踏まえて、法を定めました。
仏教の真理をダルマといいますが、アショーカ王の作った法も、仏教になぞらえてダルマと呼んでしました。
そして、法による支配を導入します。
各地に法を記した石柱を建てたそうです。
それから、仏典を結集(編集)したり、各地にストゥーパ(ブッダの遺骨を納めた塔)を建てたりしました。
スリランカに王子を派遣して仏教を布教しました。
ちなみに、世界史ではよくあることですが、宗教や哲学にはまったリーダーが亡くなると、その後、国は分裂します。
マウリヤ朝も例外ではなく、アショーカ王が亡くなった後、分裂してしまいます。
ちなみに、インドの歴史については、以前 こちら でも説明しています。
●アショーカ王の名言
アショーカ王について、ネットで検索しても、名言がヒットしません。
ただ、法を記した石柱から、判断できるキーワードがあるそうです。
アショーカ王は、次のことを重視していました。
寛容
寛容は、「心が寛大」という意味です。
もう少し具体的に言えば、「人を受けいれること。過失をとがめないこと」という説明になります。
仏教の教えで考えれば、「慈悲」の気持ちを持つということになります。
寛容という言葉を見て、ちょっと昔のことを思い出しました。
テレビを観ていた時のことです。
何の番組か憶えていませんが、松本人志さんと勝間和代さんが出演していました。
「尊敬される先輩になるため、何が求められるか?」というお題に対して、お二人が答えるものだったと思います。
僕の記憶では、松本さんの答は、「後輩におごってあげる器量」でした。
勝間さんの答は、「寛容さ」でした。
松本さんは、与えること、褒めることを重視しました。西洋的です。
勝間さんは、失敗を許すことを重視しました。東洋的ですね。
さて、話をアショーカ王に戻します。
先程も説明したとおり、寛容さを大切にしていました。
もちろん、失敗を許すような慈悲の心をもっていたのかもしれません。
ただ、失敗を許すという意味ではなく、多種多様なことを認めていたという点で寛容だったようです。
アショーカ王は仏教を信仰し、国として仏教を布教していました。
通常であれば、他の宗教は認めません。
しかし、ジャイナ教や自然崇拝を弾圧することなく、他の宗教の信仰も認めたそうです。
自らが寛容を実践していたわけですね。
●アショーカ王の画像
※画像出典元:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E7%8E%8B
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