【世界史人物14】アショーカ王「寛容」 | 技術士を目指す人の会

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勉学を通じて成長をナビゲートする講師。
2008年に技術士合格後、「技術士を目指す人の会」を立ち上げ、多数の技術士を輩出。自身も勉学ノウハウを活かして行政書士、世界史検定2級、電験三種に合格。

世界史の人物を紹介します。

今回は、 アショーカ王 です

は、山川の教科書のP56、《統一国家の成立》で登場します。

 

●いつの時代?

BC268年(在位)

 

●どこの人?

マウリヤ朝

インド人

 

●何をした人?

マウリヤ朝は、インド東部で興りました。

アショーカ王は、マウリヤ朝の王様です。

 

●インドの文明の起源

インドの文明といえば、インダス文明です。中学校で習うと思います。

インダス文明は、BC2600頃、インド西部のインダス川流域で興ります。

モエンジョ=ダーロ(僕はモヘンジョダロって習いましたがね)が有名ですね。

このエリアは、古来からのインド人(ドラヴィダ人等)が住んでいましたが、BC1500年頃になるとアーリヤ人が支配するようになります。

アーリヤ人は、肥沃な土地を求めて少しずつ東方に移動していきました。

BC6〜4世紀頃になると、ガンジス川の中下流に移動します。

ガンジス川中下流では、鉄を採掘することができました。

そして、このエリアに都市国家が興ります。マガダ国です。

ちょうどこの頃、インドのはるか西、ギリシャ周辺では、アレクサンドロス大王が領土を拡大していました。

アレクサンドロス大王は、BC334年、東方遠征に出発します。

そして、BC330年にアケネメス朝ペルシアを滅ぼします。

アレクサンドロス大王は、これに満足せず、インドまで遠征範囲を広げます。

マガダ国は戦々恐々です。

ところが、BC326年、アレクサンドロス大王は、インド征服を諦め、引き返すことになります。

そして、帰国途中で死んでしまいます。

インドの都市国家は胸をなでおろしたと思います。

これでアレクサンドロス大王の脅威が去ったわけですが、インドの西側には、ギリシャ人による都市国家が成立していました。

この状況はインド人としては面白くありません。いつ攻めこまれるか分からないからです。

ギリシャ人の脅威を追い払うためには、まずは、インドの東側を統一する必要があります。

これを実現したのがチャンドラグプタです。

まず、チャンドラグプタは、BC317年頃、マウリヤ朝を興します。

チャンドラグプタは、インド東部を統一します。その後、インド西部のギリシャ人を追い払います。

こうしてマウリヤ朝は、インド初の統一国家となります。

そして、アショーカ王は、チャンドラグプタの孫にあたり、マウリヤ朝の3代目の王様です。

領土最大を実現しました。

 

●仏教信仰

アショーカ王は、マウリヤ朝の領土最大を実現したくらいですから、戦う人でした。

しかし、アショーカ王は、仏教を信仰するようになります。

そして、武力による支配を放棄します。

では、何をやったのか?

 

アショーカ王の政治を話す前に、仏教について少し説明しておきます。

仏教は、ガウタマ=シッダールタが開いたものです。

ちなみに、ブッタガヤという場所で悟りを開いたので、尊称はブッダと呼ばれていますし、シャカ族の出身だったので、おシャカ様とも呼ばれたりしています。

キリスト教、イスラム教、ヒンドゥ教は、神様を崇め、救いを求めることで、苦しみから解放されます。

一方、仏教には神様は存在しません。仏教は神様を崇める宗教ではないんです。

ざっくりと言えば、「物事は自分の思い通りにはならない」という真理を悟る宗教です。

そして、悟りの境地に到達するためには、精神修行が必要です。

修行を重ねることで煩悩を無くすわけです。

つまり、苦しみの根源である煩悩を修行により無くすことで、様々な苦しみから解放されるというわけです。

現在の日本の仏教は、極楽浄土に行くための宗教になっています。そして、開祖であるガウタマ=シッダールタを神化しています。

この辺は、キリスト教と同じですね。

でも、そもそもの仏教というのは、宗教と言うよりも、どちかというと哲学的だったんです。

 

さて、アショーカ王の話に戻します。

アショーカ王は、仏教の教えを踏まえて、法を定めました。

仏教の真理をダルマといいますが、アショーカ王の作った法も、仏教になぞらえてダルマと呼んでしました。

そして、法による支配を導入します。

各地に法を記した石柱を建てたそうです。

それから、仏典を結集(編集)したり、各地にストゥーパ(ブッダの遺骨を納めた塔)を建てたりしました。

スリランカに王子を派遣して仏教を布教しました。

ちなみに、世界史ではよくあることですが、宗教や哲学にはまったリーダーが亡くなると、その後、国は分裂します。

マウリヤ朝も例外ではなく、アショーカ王が亡くなった後、分裂してしまいます。

ちなみに、インドの歴史については、以前 こちら でも説明しています。

 

●アショーカ王の名言

アショーカ王について、ネットで検索しても、名言がヒットしません。

ただ、法を記した石柱から、判断できるキーワードがあるそうです。

アショーカ王は、次のことを重視していました。

 

寛容

 

寛容は、「心が寛大」という意味です。

もう少し具体的に言えば、「人を受けいれること。過失をとがめないこと」という説明になります。

仏教の教えで考えれば、「慈悲」の気持ちを持つということになります。

 

寛容という言葉を見て、ちょっと昔のことを思い出しました。

テレビを観ていた時のことです。

何の番組か憶えていませんが、松本人志さんと勝間和代さんが出演していました。

「尊敬される先輩になるため、何が求められるか?」というお題に対して、お二人が答えるものだったと思います。

僕の記憶では、松本さんの答は、「後輩におごってあげる器量」でした。

勝間さんの答は、「寛容さ」でした。

松本さんは、与えること、褒めることを重視しました。西洋的です。

勝間さんは、失敗を許すことを重視しました。東洋的ですね。

 

さて、話をアショーカ王に戻します。

先程も説明したとおり、寛容さを大切にしていました。

もちろん、失敗を許すような慈悲の心をもっていたのかもしれません。

ただ、失敗を許すという意味ではなく、多種多様なことを認めていたという点で寛容だったようです。

アショーカ王は仏教を信仰し、国として仏教を布教していました。

通常であれば、他の宗教は認めません。

しかし、ジャイナ教や自然崇拝を弾圧することなく、他の宗教の信仰も認めたそうです。

自らが寛容を実践していたわけですね。

 

●アショーカ王の画像

 

※画像出典元:ウィキペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E7%8E%8B

 

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