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『指輪の選んだ婚約者2 恋する騎士と戸惑いの豊穣祭』

著:茉雪ゆえ 絵:鳥飼やすゆき
★STORY★
“氷の貴公子”と名高い、美貌の近衛騎士・フェリクスが投げた指輪で縁を結ばれた、刺繍好きの伯爵令嬢アウローラ。初めての恋に戸惑いながら、豊穣祭の衣装準備に追われていたある日、彼女を狙う不審な団体がいるとの情報が!
アウローラは婚約者であるフェリクスに護衛してもらうため、同じ屋敷に住むことになって…!?
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(大変なことになってしまいました……)
アウローラは内心で呟いた。しかしそれはおそらく、兄も父も共通して抱いているだろう思いだ。
どこまでも高く澄んだ雲ひとつない青い空に、茜に色づいた秋の木々が美しく映える、日差しの降り注ぐとある午後。ポルタ家の面々は使用人を引き連れて玄関前に並び、門扉から上がってくる馬車の到着を待っていた。
ポルタ辺境伯家の居城・クストディレ城は、かつて城塞だった石造りの古城を、先代が現代的に改修したものである。城塞であったために市街地からは少々離れており、更には騎士団の本拠地だった時代の名残で広大な敷地を有しているため、門扉から玄関まではかなりの距離があった。そして、門扉から入ってきたものは真っ直ぐに伸びる石畳を進んでくることになるので、門の内に入ればその様子は丸見えなのである。
(まさか、この方々が、この時期にポルタにいらっしゃるなんて……!)
アウローラは無意識に、深く息を吐いていた。
皆の眼下を進んでくる二台連なった箱馬車は焦げ茶の二級品で、アウローラの目には、下級貴族が旅行に使うごく普通のものに見える。だが、それを引いているのは黒毛に銀の斑模様をした、『魔馬』と呼ばれる、魔力を持った非常に希少な馬だった。魔馬は普通の馬よりも三倍の速度で走ることができる上、安定した走りで揺れが軽減されるという、驚くべき存在だ。当然、非常に高価であり、下級貴族が所持していることは極稀である。更に、馬車の窓にかかっているカーテンは分厚く、中を少しも見せぬようになっていて、扉には家紋もなければ、馬車を作った工房のマークもない。
護衛もつけぬ気楽な旅と見せ掛けて、よく見ればなんだか怪しく、少々物々しい。そんな風体の馬車は、やがてポルタ家の車寄せに、ピタリと停まった。
そして、微かに蝶番を軋ませて、扉が開いた。間髪をいれず、紅茶色の短い髪をした体格のいい騎士と、金の巻き毛の華やかな美形騎士が、軽やかな仕草で飛び降りてくる。それから彼らの手で踏み台が用意され、傅かれ慣れた堂々とした動作で降りてきたのは、黒い髪に灰色の目をした魔術師衣装の青年だった。
その姿に、ぼんやりしていたアウローラの意識がハッと引き戻される。
アウローラはかつて、その人の素性を、本人から告げられていた。王族の特徴的な『菫色』の瞳を灰色に染め、魔術師の黒いローブを羽織ったその姿は、王太子殿下テクスタスの世を忍ぶ仮の姿、『宮廷魔術師エーリク』のものである。
しかし、彼女の意識を現実に引き戻したのは、その事実ではなかった。
(なんって素晴らしい、魔術紋の刺繍なの!?)
アウローラは、唇をわななかせ、王太子のローブを凝視していたのである。
(ポルタは魔術師の多い地域だもの、お忍びにローブは丁度いいのでしょうけれど……! 一見真っ黒、地味極まりないローブなのに、光が当たると、同色であらゆるところに魔術紋が刺繍してあるなんて、贅沢にもほどがある仕様だわ! 魔術紋に詳しくない自分が悔しい……! ああ、すごくシックな光沢。どこの糸だろう……端正な技術だわ、どこの工房で受けてるのかしら。それとも、宮廷魔術師様のお仕事の一環? あら、よく見たら袖口に、暗い銀糸で『マギの実』の図案が刺繍されてるわ……。『マギの実』の図案は、ポルタの伝統模様で、豊穣を言祝ぐ意味があるって図案集には書いてあったっけ。だから、『豊穣祭』の時には晴れ着に刺繍を刺すと、縁起がいいんだって言うのよね。さすが、殿下、うちの祭りを調べ上げていらっしゃる……あっ)
まじまじと王太子の衣装を見つめていたアウローラの視界の端を、美しい銀色がかすめた。アウローラが顔を上げれば、そこにあったのは、最後に馬車から降りてきた人の、輝く銀の髪と青玉めいた瞳の、冷たい月のような美貌だった。
(フェリクスさまだ……っ!)
彼は立ち尽くしているアウローラに気づくと目を少しだけ見開いて、歩みを止めた。フェリクスの凍れる瞳が、すっと細められ、和らぐ。
(うっ、わ……あ!)
アウローラと青年の視線が、甘く交わった。
「アウローラ……」
(……どうしましょう、ひ、久しぶりに、ま、眩しい……ッ! それに、近衛隊以外の騎士服だなんて、なんて新鮮なの……!)
ぼうっと、アウローラは彼を見つめた。馬車から降りてきたフェリクスは、お忍びへの付き添いであるために、紺地に銀糸の近衛隊の騎士服ではなかった。薄鈍色の詰め襟に同色のトラウザーズという、高位貴族の専属護衛によくある色合いの上下に、濃赤のパイピングと肩章、そこに袖と襟と裾の一部に施された濃灰色の刺繍が映え、最後に全体を黒い軍靴とベルトの色味がぐっと締めるという、非常に洗練された出で立ちだったのだ。
(うう、直視できない素敵さ……! この方どうして、何を着ても似合うのかしら! 月桂樹の連なるような袖口の刺繍も見事だわ……。金糸のエンブレム刺繍もすばらしい技術! 知恵の木に竪琴と剣……って第二王妃様のご実家の紋章だったかしら?)
「アウローラ?」
「フ、フェリクス、さま……」
物珍しい衣装の刺繍を一生懸命見つめていることに、気づかれてしまったのだろう。彼はふわりと柔らかくほころんだ笑みを見せた。くらり、アウローラはよろめきそうな自分を必死に律する。最初からうっすら熱かった頬が、寒い朝なら湯気が出てしまいそうなほどに、熱い。
(そうだ、ご、ご挨拶! 刺繍を見ている場合じゃあなかったわ! ど、どうしよう、どうすればいいの!? 『お会いできて嬉しいです』とか『お会いしたかったです』とか? でも、フェリクス様はお仕事中だもの、私語なんて駄目よね!? どうしよう、久しぶりでなんだか緊張してしまう。それになんだか、涙出そう……)
挨拶をしなくてはと思うのに、フェリクスの顔を見て声を聞いていると、胸の奥がグッと締め付けられるように軋んで、声にならない。それなのにじんわりと、胸を満たす温かいものもある。
目が合って、言葉を交わして、名を呼ばれて。
それだけでこんなに動揺してしまうのだから、自分は思いの外、彼に会えないのが寂しかったのかもしれない。そう思い至って、アウローラはグッと手元で白い指を握りしめた。
「あ、あの……!」
「おーいおふたりさーん」
意を決して口を開いた時、主賓の声が呆れたように降り注ぎ、アウローラは弾かれたようにそちらを向いた。いつの間にか当主たちと軽い挨拶を済ませた王太子は、残り二名の騎士を背後に従え、アウローラとフェリクスをニヤニヤと見ていたらしい。
「あー、この十分くらいは業務時間外にしていいぞ? 許可する」
「あっ、申し訳!?」
耳に届いた、多分に呆れを含んだ王太子の声に慌て、その声の主に対して最上の礼を取ろうとしたアウローラは次の瞬間、ひしゃげそうな勢いで押しつぶされた。
(なにごと!?)
ぎゅうと押し付けられたそれは温かく、厚い布地越しだというのに、ドクンドクンと脈動が聞こえる。目の前に広がるのはグレーの布地。背に回るのは見た目以上にがっしりした二本の腕だ。
何が起きたのかと目を白黒させるアウローラの耳元で、低く甘い声が囁く。
「……会いたかった」
(ひい!? なんて色の声を!!)
瞬間、アウローラはこれ以上人体が赤くなるのは無理だろう、という色に耳どころか首まで染まった。酸素不足の魚のごとく、パクパクと口を開けたり閉めたりし、言葉を絞りそうとするが上手くいかない。
「あああああ、ああの」
「……連絡がなく、心配したが。元気そうで、よかった」
いかにも安堵したという、柔らかい吐息がアウローラの耳元をかすめ、腕にこもる力が増す。
その言葉に、アウローラは手紙を滞らせたことを、心の底から悔いた。
いつのまにかすっかり親しくなっていたから忘れてしまっていたけれど、この人は本当に不器用で、人付き合いが苦手なのだった。そして、自分の不器用さゆえに人と親しく付き合えずにいるのだと、自覚もしている。アウローラからの手紙が滞り、彼はどれだけ気に病んだのだろう? 自分のせいなのではと、思ったのではないだろうか。
今この瞬間まで、自分のしでかした不義理がまさか、このひどく優秀で恐ろしく美しい男を、そんなにも揺らがせたなどとは露ほども思っていなかったアウローラは、胸を軋ませて口を引き結んだ。
「あの、フェリクス、さま」
おずおずと開かれた口元を、フェリクスがじっと見つめる。その視線の強さに思わず目線をそらしながら、アウローラはぼそりと、ふたり以外には決して聞こえないような音量で声をこぼした。
「その、わたくしも、お会いしたかった……です」
「……アウローラ!」
(う、わ、あ! ぐ、ぐ る じ い……)
感極まった、という叫びが響いて、アウローラは万力で締められるかのごとく押しつぶされた。ぐえっと肺から息が漏れ、目の前がチカチカと明滅して、真っ白に染まる。
「おーい、そのあたりにしておけー」
「ポルタ嬢が死ぬぞー」
上司ふたりの声にフェリクスが我に返った時には、アウローラは目眩をこらえてフラフラとよろめいていた。婚約者の胸元にぐったり寄り掛かりながら、ゼエゼエと息を整えている。
「す、すまない、思わず」
「だ、大丈夫です……わたくし、丈夫です、ので」
「よかったなあクラヴィス、嫌われなくて」
ニヤニヤとセンテンスが歩み寄り、眼鏡の奥で細めた瞳で、アウローラを覗き込む。
「やあポルタ嬢久しぶりだな! 『エーリク』と会うのも随分ぶりだろう?」
フェリクスの胸元から離れ、身なりと息を整えていたアウローラは、センテンスのセリフに目を丸くして慌てて居住まいを正した。
「あ、はい! お久しぶりでございます!」
「エーリクは王族と遠縁の侯爵家の人間で、俺の幼馴染の魔術師なんだ」
「そうだったのですね。エーリク様、センテンス様。ようこそいらっしゃいませ」
「よろしく頼む」
「いやー、一度ここの祭りには来てみたかったんだよ。世話になるね」
うっかり王族への礼をするところだったが、そういえば彼はお忍びなのだ。王族でなく、一般的な貴族のように扱えということなのだろうと判断し、最上の礼ではなく、己より高位の貴族への礼をしたアウローラに、センテンスが満足気に頷く。
「理解が早くて助かるなあ」
「は、はい」
そういう設定だから、よろしく。言外にそう匂わせ、下手くそにウィンクなどしてみせた、瞳を灰色に染めた王太子に、アウローラは遠い目で数日前の家族会議を思い出していた。
~~~~~~~~(続きは本編へ)~~~~~~~~
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