赤ちゃん(べべ)が、私の体から出てきた時
私は自分が一仕事終えた達成感で、思わず笑顔になったが…
べべはすぐに泣こうとしなかった。
助産婦さんと先生が私の足元で、べべのお尻をペンペン!と叩くと弱々しい泣き声が。
そのまま奥の部屋に連れて行かれたべべは、異常がないか調べられ…
達成感で笑顔になっていた私の顔が、一気に不安に包まれた。
そのうち、奥の部屋から赤ちゃんらしい泣き声が聞こえるようになり、助産婦さんからも
「大丈夫、異常ないです!」
と笑顔で告げられると、やっと私は安堵の笑みを浮かべるのだった。
夫はというと、フランスでは立会い出産の時、生まれたばかりのべべが、ママンのお腹に置かれると、パパがへその緒を切る…ことがよくあるそうで、それを期待してたのに、こんな風にサラサラと事が進んでしまったので、少々残念だったようだ。
…と、綺麗に洗ってもらったべべが、私の隣に戻って来て
なんと、ここで突然の授乳デビュー!!
出てるのかなんなのかわからないが、とにかく母乳をあげた私。
小さな体で、目もつぶったままなのに…ちゃんとミルクを欲しがるのね、べべちゃんって。
神秘的。
その夜は独り病室でぐっすりと寝た私だったが、翌日からは母子同室に。
母乳は生後すぐに出るというよりは、吸わせて母乳を出る様に信号を体に送ってあげて、徐々に出始めるパターンが多いらしく、私も最初は吸わせることはするけれど、あまり出ないのでミルクで補助…という風にしていた。生後すぐに出るのが初乳と言って、べべに大事な栄養や免疫が入っているらしいので、是非ともあげたいところだが、きちんと出始めるまでに3~4日かかった。
(とはいえ、哺乳びんにとってみると、3~4日経っているのに黄色い、見るからに栄養たっぷりの母乳が出ていたので一安心♪)
ところで、私はこの短い入院生活中、マタニティーブルーだったと思う。
出産の時こそ立ち会ってくれた夫も、もちろん翌日からは仕事。
部屋は希望していなかったが、空きがなく個室に。
最初は気兼ねなく使えてラッキ~!…と思っていたが、シンと静まりかえったこの部屋で
初めての我が子と二人きりの生活が始まり…
妊娠中から心配が絶えなかったべべを横に…
あまりに尊く、小さくて繊細な我が子が泣きだすと、生まれて間もないからか
息が上手にできなくて、何だか心配で心配で
私はついに看護士さんが様子を見に来た時に、泣いてしまった。
我慢しようと思っても、どんどん涙も鼻も出てきて、本気で泣いてしまった。
そんな私を、優しくヨシヨシとなだめてくれた看護士さんだったが、ずっとついていてもらうわけにもいかず…
私は、これからの不安と、子供への心配で頭がいっぱいだった。
悩みを聞いてくれる夫も、助けてくれる母もここにはいない。
病室にべべと二人っきり…
母乳もまだよく出ない上に、痛むし、寝れない…
そんなことが、全て私にのしかかっているようだった。
しかし、数日の間で、私の心に変化が訪れた。
一人でいるのが不安だった私は、授乳室へ入り浸るようになった。
そこに行けば、隣はナースステーション。
そして、3時間ごとに定期的に授乳しにやって来る、私と同じママさん達。
ここにいれば、一人じゃなかった。
私は同じサイクルでやって来るママさん達と顔見知りになり、話をするようになった。
そうすると、何だか心がすっと軽くなり、ついには
「別に寝なくても大丈夫」
というところまでたどり着いた。
いや、正確に言うと、朝、べべを看護士さんに預ける時間が少々あり、その時間に1時間程度でも寝る!
すると驚くほどにスッキリするのだ。
私はその睡眠時間だけで乗り切ったし、なぜかそれが乗り切れたのだった。
一人で病室にいて、上手に呼吸ができないで泣くべべを「どうしよう、どうしよう」と見るよりは
授乳室にいて困ったらすぐに呼ぶ方が、精神的に楽だった。
こうしている間に、母乳もしっかり出るようになり、べべの扱いも少しずつ慣れてきた。
後半になると、自分にも余裕が生まれ、面会に来る友人も私を元気にしてくれ…
マタニティーブルーを脱出することができたのだった。
今では呼吸も少しずつ上手にできるようになったべべちゃん。
万が一、苦しそうにしている時の接し方がわかるようになった私。
これも、姉や母の助けがあったからこそ、そして、短い付き合いではあったが、病院で知り合った
同じママさん達との出会いがあったからこそだと思う。
人って、誰かの支えがあって、救われること…あるよな。
そう思わずにはいられなかったのだった。