ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
226.党項城タンハンソン
 
 
 
 
KBSワールドで目下放送中の「大王の夢〜王たちの戦争」も本日19話まで来ました。
新羅と百済が連合して高句麗より漢江下流地方を奪取。
 
 
新羅は百済の離反により窮地に陥りますが、トクマンこと後のソンドク善徳女王の懸命な働きにより本国の支援の獲得に成功。
 
苦しい中にもとうとう闘いに勝利し、善徳女王とキムチュンチュ金春秋、そしてキムユシン金庾信が新羅の政界でその存在感を発揮する大きなキッカケになりました。
 
 
このドラマ、新羅の三国平定(敢えて三国統一とは言いません)までの道のりを新羅の立場で描いて居るので仕方がないのですが、普段高句麗目線で歴史を見る事に慣れてしまって居る私からすると、どうしてもシラけてしまいます。
 
高句麗が中国と血みどろの闘いを繰り広げて居る最中、「火事場泥棒」の様に百済と連合し漢江地域を奪い、百済すらも裏切り、百済の占領地域をも奪いました。
 
 
怒った百済が宿敵の高句麗と手を組み新羅を攻撃すると、いよいよ活路を中国・唐に求め、唐と連合して百済と高句麗を滅亡させる算段を練って行きます。
 
 
贔屓(ひいき)目に見ても正義とは程遠い新羅の行為です。
長らく我が国の歴史叙述が新羅中心で有った事を考えると、現在の新羅への評価は隔世の感が有りますが、新羅中心のドラマを観て居ると、その評価に逆戻りした様です。
 
 
新羅を美化する描き方が胸糞悪いので、観るのを止めようかと思いもしますが、歴史的事実は事実として、また映像作品はまたそれとして受け止める度量が必要です。
 
ここで大事なキーワードになるのが『タンハンソン党項城』です。
新羅はこの城を手中にした事により、三国の覇者となる事が出来ました。
今回はこの『タンハンソン党項城』について見たいと思います。
 
 
『タンハンソン党項城』『タンソン唐城』とも呼ばれる小さな山城ですが、漢江下流地域のハンソン漢城(現在のソウル)と並び朝鮮半島の重要な要衝地です。
何故なら中国との重要な交易路の窓口だからです。
即ち、中国との最短航路がこのタンハンソン党項城山東半島に存在します。
 
 
タンハンソンは三国時代から、朝鮮半島から中国に行く為の最適の関門で有ったので、三国はこの地を占める為に血みどろの激しい争奪戦を繰り広げました。
 
ここは、元々マハン馬韓54カ国の内、ウォンヤン国爰襄国に属しましたが、馬韓の小国から成長した百済の彊域に編入されました。
その後、高句麗チャンス長寿王の時代に高句麗が南進政策を展開し、百済の漢江流域を奪った後、ここにタンハンソン党項城を設置しました。
 
 
百済はアシン阿莘王時代(392〜405)、高句麗の南方地域を絶えず攻撃し、396年には高句麗の広開土王に大敗するなど、苦杯を舐め続けましたが、これに屈せず執拗に攻撃し続けました。
 
475年には、チャンス長寿王は3万の大軍を率いて攻め、漢城を始め百済の漢江流域を奪い、ケロ蓋鹵王を戦死させました。
百済は南に押され、首都をウンジン熊津城(忠清南道公州)に移転せざるを得ない羽目に陥りました。
 
 
高句麗はこの党項城タンソングン党城郡を設置しました。
 
551年百済のソン聖王と、新羅のチンフン真興王が連合して高句麗を攻撃、百済が漢江下流6郡、新羅が漢江上流10郡を奪取する事に成功しました。
 
 
この時、しばらく百済がタンハンソン党項城を奪還しましたが、前述の様に新羅が同盟を破って、百済が占めた漢江下流地方まで丸ごと奪って新羅の領土にしてしまいました。
 
党項城も空しく、新羅の手に渡ってしまいました。
 
 
新羅に裏切られ、やっと収復した漢江流域を全部奪われたソン聖王は554年リベンジの為に新羅を攻撃しますが、返り討ちに会い、戦死してしまいます。
 
以降、百済と新羅は互いに血みどろの闘いを交えながら、このタンハンソン党項城漢江下流地域を巡り攻防を繰り返しました。
しかし、新羅は最後まで漢江流域を死守し、タンハンソン党項城を確保し、中国・唐への依存を深めます。
 
 
この様に、タンハンソン党項城は三国抗争期の重要な戦略的拠点の城でした。
イメージとは異なり、この当時タンハンソン党項城はとても小さい城でした。
周囲600mと言い、兵力100人余りが駐屯するのがヤットだったと言いますから、その規模を窺えます。
 
 
当時はタンハンソン党項城が有った地域である、現在のファソン華城市の地域自体が狭い陸路で繋がった島に近い半島だったので、小さな山城でも天然の要塞として、大きな威力を発揮したと言えます。
 
 
タンハンソン党項城は現在『ファソン華城タンソン唐城』と呼ばれます。
現代では、千年以上にわたって堆積作用と干拓により、三国時代の海岸線に比べかなり陸地に後退した状態です。
 
タンハンソン党項城は、1993年に地表調査が実施され、これに基づいて、1998年と2000年に2次にわたって発掘調査が行われました。
 
 
唐城は本城と第1外城、第2外城の複合式山城として知られており、三国時代に築城され、後期新羅時代に増築された事が確認されました。
 
城壁は、様々な方法で築造されましたが、ほとんどが土城で、土と岩で築城されて居ます。
現在では原型を留めませんが、遺構が残っており、韓国の史跡第217号に指定されて居ます。
 
 
<参考文献>
나무위키
한국민족문화대사전
 

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