<スベクヒャン>
 
ワンポイントコラム
<韓国朝鮮 歴史のトリビア>
216. 己汶キムン
 
 
 
 
BSーTBSで放送中の「帝王の娘 スベクヒャン」も佳境に入って来ました。
キムン己汶に派遣されたソルランキムンの王スムニンを包摂する密命を帯びて宮女として接近。
見事、スムニンの信頼を得て、キムン己汶の百済への併合を認めさせました。
 
<キムンの王 スムニン>
 
『己汶キムン』とは百済と伽耶の国境地域にあった地名です。
 
己汶キムンの地名は「日本書記」継体7年(513年)と10年(516年)などに登場します。
 
関連記事を見ると、元々百済の地であったキムンハンパ伴跛が占領して、百済の力を借りてその地を奪還したと有ります。
半波はこれに対して反発しましたが、最終的に己汶キムン百済に帰属されてしまいました。
 
 
ハンパ伴跛慶尚北道ソンサン星州に有った勢力とも、コリョン高嶺に存在していた勢力とも言われますが『大伽耶』の別の名前と推定されて居ます。
 
己汶キムンは6世紀前半、百済伽耶地域に進出する過程で登場する地名であるので、当時百済伽耶との国境地域に位置していた物と思われます。
 
 
これまで己汶キムンの位置に付いては、いわゆる『任府日本府』の問題と結びついて多くの議論が有りました。
己汶キムンが何処だったのかを明確に知る事が出来れば、当時百済の進出の方向を知る事が出来、百済「倭」国との関係を詳しく知る手掛かりになると言われて居ます。
 
これまで己汶キムンの位置については、ソムジンガン蟾津江流域という説とラクトンガン洛東江流域という説が有りますが、未だ定説は有りません。
 
 
660年に編纂された「ハンウォン翰園」の百済伝にキムンハ基汶河の文章が見えますが、この川が「百済の南から源を発して、東南に流れ海に達する」川と有るので、そうで有ればこの川は、ソムジンガン蟾津江と見るのが自然です。
とすれば、全羅北道ナムウォン南原あたりと見る事が出来ます。
 
 
一方、「新撰姓氏錄」と言う日本の書籍にも「イムナグク任那国で申し上げるに、私たちの国の東北に三己汶が有り、上己汶・中己汶・下己汶が有る」という記事が有ります。
「任那」は当初金海地域のみ指しましたが、後には高嶺の地域を指したり、伽耶全地域を指す事も有りました。
 
 
この記事から類推すると、最終的に百済の地に属する事になる地理的位置は、洛東江中流流域の地域でしか有りません。
 
以前には己汶キムンの位置を慶尚北道キムチョン金泉市一帯と見ました。
 
<ナムウォンの鉄工作業所跡>
 
余談ですが、近年、ナムウォン南原一帯で大規模な鉄工作業所跡が発見されており、キムン国と言われて居ます。
この遺跡が、上記のキムン己汶と関連が有るのか、別物なのか、今後の研究に掛かって居ます。
 
今後、この地方の遺跡発掘などにより、正確な位置が特定される事を願います。
 
<遺跡発掘調査>
 
ドラマ「帝王の娘 スベクヒャン」は、この様に要所要所に歴史的に重要な史実を上手く絡めて居るので、ファンタジー史劇ながら歴史を楽しく学べ、有意義と言えます。
今後、ソルラルソルフィがどうなるのか、固唾を呑んで見守りたいと思います。
 

ドラマレビュー記事❸はコチラ↓

 

 
<参考文献>
한국민족문화대백과사전
위키백과
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