「分かった、できた」→「楽しい」
こんな単純であれば、こんなに楽なことはない。
実際に教えていて、この流れが必ず起きるとは限らない。
「分かった、できた」→「安心した」
こんな流れがある。むしろ、こちらのほうが多いかもしれない。
この場合、あまり次につながるようなエネルギーにならないような気がする。
「できて、安心した」瞬間、次の分からないことがやってくる。
そして、また不安、心配、恐怖になる。
そういうネガティブな感情になるから、一般的にイメージされているような意欲が湧いてくるというようなことはない。
でも、そのマイナスの感情はなんとかしたい。そのために「学ぶ」
逃げては、休み、逃げては休み、という逃亡者生活のような感じ。
こんな状態で、「楽しい」という感情は湧いてこないだろう。
この場合、追いかけてくる追跡者は、先生であり、テストであり、周りの人であり、クラスメイトや友人だったりする。
これらの人や物事を、自分を追い立てる追跡者であり、敵である、と見ているうちは、とてもじゃないけれど「楽しむ」ことはできないだろう。
大人になって「学ぶことが楽しい」と思える場合、それは「分かる」ようになったからではないかもしれない。
敵がいなくなった、あるいは、敵だと思っていたが、実は味方だった、そして、「人と比べる」必要がなくなったからなのだろうと思う。
そう考えると、まず関わる人が最初にしなければいけないことは、
”私はあなたの仲間であり、応援者なんだよ。”と伝えることであり、”人と比べることをやめること”なんだと思う。
そして、本人が、
”周りの人たちは自分の仲間なんだ、応援者なんだ”と思うことであり、”人と比べることをやめること”なんだとも思う。
そして、お互いがこの信頼関係になったときに、「分かった、できた」→「楽しい」につながりやすいのだと思う。
果たして、どれくらいの学校や家庭でこの信頼ベースの環境ができているのだろうか・・・・