赤い鳥 | I have a thing about ・・・・

赤い鳥

赤い鳥(あかいとり)は、日本の音楽グループ。1969年に結成、1970年代を中心に活動し、1974年解散。

経歴
グループ名は鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとった。デビュー前は松田幸一も参加していた。1969年4月に赤い屋根の家(兵庫県尼崎市武庫之荘)コンサート開催(余談だがその当時近所に住んでいた大村崑夫人にギターを教えたのは後藤悦治郎だった)。1969年11月、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に関西・四国地区代表として出場。「竹田の子守唄」

竹田の子守唄 赤い鳥
ryoutoraji アップロード日: 2011/07/23

守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし  (一番)
盆がきたとて なにうれしかろ
帷子はなし 帯はなし     (二番)
この子よう泣く 守をばいじる
守も一日 やせるやら     (三番)
はよもゆきたや この在所こえて
むこうに見えるは 親のうち  (四番)

この子よう泣く 守りせというたか
泣かぬ子でさえ 守りゃいやや どしたいこうりゃ きこえたか   
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら どしたいこうりゃ きこえたか
来いよ来いよと こまもの売りに
来たら見もする買いもする どしたいこうりゃ きこえたか
寺の坊さん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる どしたいこうりゃ きこえたか
久世の大根めし 吉祥の菜めし 
まだも 竹田のもんばめし どしたいこうりゃ きこえたか
盆が来たかて 正月が来たとて
なんぎな親もちゃ うれしない どしたいうこりゃ きこえたか
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、「COME AND GO WITH ME」を歌い、フォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、他部門の優勝グループを抑え、グランプリを獲得(この時、オフコース(当時は「ジ・オフ・コース」として)、チューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」として)も出場していた)。財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったという。 1970年4月、ヨーロッパ旅行に出発、イギリス、ロンドンでレコーディング。 6月にデノンレーベルからシングル「人生」、アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。9月、東芝レコードに移籍。10月、合歓ポピュラーフェスティバル'70に出場、「翼をください」で新人奨励賞を受賞。


赤い鳥 - 翼をください
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翼をください~赤い鳥~
rinchanjiiji
公開日: 2012/04/02
作詞 山上路夫
作曲 村井邦彦

今 私の願いごとが叶うならば
翼がほしい
この背中に鳥のように
白い翼つけて下さい
この大空に翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせ行きたい

子供の時夢見たこと
今も同じ夢に見ている
この大空に翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせ

この大空に翼を広げ
飛んで行きたいよ
悲しみのない自由な空へ
翼はためかせ 行きたい


1971年1月から1972年6月まで、竹田一彦カルテットがバックバンドとして協力。1971年2月発売の「竹田の子守唄/翼をください」が発売3年で100万枚を突破するヒットになった。
1972年7月、渡米、レコーディング。
メンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ。1974年2月後藤と結婚)、山本俊彦(ギター)、新居潤子(1973年4月に山本と結婚し、山本潤子)(ボーカル、ギター)、大川茂(ベース。1969年6月加入、1972年8月アメリカ合衆国カントリーチャーチで結婚)の5名。後期には、大村憲司(ギター。1972年2月から1973年4月)、村上秀一(ドラム。1972年6月から1973年4月、村上“ポンタ”秀一)、渡辺俊幸(ドラム、キーボード。1973年4月から)を加える。
各人がボーカルを担当することができ、美しいハーモニーが魅力的なグループであった。各地の子守唄・伝承されている歌などを美しいコーラスワークで聴かせる傍ら、トニー・マコーレイ(en:Tony_Macaulay)などの曲提供によりアルバムを発表するなどいわゆるソフトロック的な音楽性も兼ね備えていた(そのため、関西地区で結成されたグループであるが、関西フォークとは一線を画していた)。路線対立から1974年9月に解散。事実上、下記の通り3分割されることになった。

解散後
その後、後藤・平山の夫妻は「紙ふうせん」、


'78 冬が来る前に/紙ふうせん
yumefro

山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」、


中央フリーウェイ   ハイ・ファイ・セット
orangejuiceMIX


ハイ・ファイ・セット フィーリング
mayonakanoaijinn

渡辺は「ハミング・バード」を結成した。
紙ふうせんはフォークのあり方を追求し、ハイ・ファイ・セットは荒井由実やジャズを取り上げるなど、ポップな演奏を繰り拡げた。ハミング・バードは赤い鳥の後期を継承するような音楽性を展開したが、アルバム1枚とシングル数枚で解散した。また、渡辺俊幸は1976年にさだまさしのバックボーンとなってプロデュース・編曲・バックバンドのメンバーなどで活躍した。グレープ解散後さだは渡辺と新ユニットの結成も模索していたといわれる。
1983年には大阪府万博球場で再結成コンサートが行われた。
1991年、後藤・平山夫妻は新グループ(ユニット)「TSU-BA-SA」を結成した。2人のメンバーを新たに加えた4人編成で、90年代中頃まで活動を行っていた。赤い鳥の再結成と見られる事があったが、あくまでも後藤夫妻のプロジェクトである。

 荒井由実初期の楽曲は山本潤子というかけがえのない歌手にであって幸せだと思います。

 正直に言いますが、本人が歌うとなんか・・・台無し。( ̄_ ̄ i)

 ・・・怒られますね・・・いろんな人に。(>_<)