Tsugume. と一緒に旅をしよう。Vol.22 Skylark | I have a thing about ・・・・

Tsugume. と一緒に旅をしよう。Vol.22 Skylark

$I have a thing about ・・・・-Jazz Cover
Jazz Cover 森田葉月&森川七月
1. Pretend
2. P.S.I Love You
3. Summertime
4. Caravan
5. Lately
6. Do You Wanna Dance
7. More~Fly Me To The Moon~Moon River
8. Fever
9. Autumn Leaves
10. Sentimental Journey
11. Night And Day
12. Skylark
13. Amazing Grace


 独特の雰囲気を持つ佳作曲ですね。

 前半、中盤と、しっとりとした、殆どピアノとデュオという感じですが、

 エンディングにいたって、ドラム、ベース、ギターが参加し一気に盛り上げます。

 つぐめちゃんも非常にダイナミックに歌い上げています。

 ひょっとしたら、わたしはこの板でこの曲が一番好きかもしれない

Skylark (song)
From Wikipedia, the free encyclopedia
"Skylark" is an American popular song with lyrics by Johnny Mercer and music by Hoagy Carmichael, published in 1942. Mercer said that he struggled for a year, after he got the music from Carmichael, before he could get the lyrics right. The yearning expressed in the lyrics is Mercer's longing for Judy Garland, with whom Mercer had an affair. This song is considered a jazz standard.
The song was recorded by Glenn Miller & His Orchestra, with vocals by Ray Eberle, rising to #7 on the charts in 1942.
In 1964, Ella Fitzgerald recorded this on her Verve release "Ella Fitzgerald Sings the Johnny Mercer Songbook", with arrangements by Nelson Riddle.




The song was recorded by Bobby Darin for his album "Love Swings".

The song has also been recorded by the English/Australian classic rock band Sky in 1982.

In 2009, Renee Olstead sang it on her second album by the same name.


The song was recently re-recorded by Janis Siegel on Steve Hass's debut album, Traveler. Steve is the current Manhattan Transfer drummer and percussionist.

In 1973, Bette Midler recorded the song for her album Bette Midler (1973).(「Bette Midler」を、クリックしてね。リクエストによる埋め込み無効のため)

In 1998, Clint Eastwood's movie "Midnight in the Garden of Good and Evil", that takes place in Mercer's birth town Savannah, used this song as ending title, sung by k.d. Lang.


k.d.lang

Additionally, the song is believed to have inspired a long-running Buick car of the same name that ran from 1953 to 1998.


Skylark - Bette Midler
Skylark, have you anything to say to me?
Can you tell me where my love may be?
Is there a meadow in the mist
where he's just waiting to be kissed?
Skylark, have you seen a valley green with spring
where my heart can go a journeying
over the shadows and the rain
to a blossom covered lane?
And in your lonely flight have you heard the music?
In the night, wonderful music.
Faint as a will-o'-the-wisp, crazy as a loon,
sad as a gypsy serenading the moon.
Oh, skylark, I don't know, I don't know
if you can find these things,
but my heart, my heart is riding on your wings.
So if you see them anywhere
won't you lead me there?
Oh, won't you lead me there?
Lead me there, lead me there.
Lead me there, skylark, skylark, skylark, there . . .
absolute lyrics


Skylarkというのは、

ヒバリ 

鳴き声 Sprasia, Inc.

ヒバリのことだそうです。
こんな可愛い小鳥に、そんな難しいこと聞いたり、お願いしたりしてもねぇ・・・・
・・・という感じもしますが・・・・。

ヒバリと言えば、わたしが思い出すのが、美空ひばりじゃなくて、これだ。


青空文庫-草枕

草枕
夏目漱石

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
    ・
    ・
    中略
    ・
    ・
 余の考かんがえがここまで漂流して来た時に、余の右足は突然坐りのわるい角石の端を踏み損くなった。平衡を保つために、すわやと前に飛び出した左足が、仕損じの埋め合せをすると共に、余の腰は具合よく方三尺ほどな岩の上に卸りた。肩にかけた絵の具箱が腋の下から躍り出しただけで、幸いと何の事もなかった。
 立ち上がる時に向うを見ると、路から左の方にバケツを伏せたような峰が聳えている。杉か檜か分からないが根元から頂きまでことごとく蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、続ぎ目が確と見えぬくらい靄が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に逼る。禿げた側面は巨人の斧で削り去ったか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている。天辺に一本見えるのは赤松だろう。枝の間の空さえ判然している。行く手は二丁ほどで切れているが、高い所から赤い毛布が動いて来るのを見ると、登ればあすこへ出るのだろう。路はすこぶる難義だ。
 土をならすだけならさほど手間も入るまいが、土の中には大きな石がある。土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上に悠然と峙って、吾らのために道を譲る景色はない。向うで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん。巌のない所でさえ歩るきよくはない。左右が高くって、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿って、その頂点が真中を貫いていると評してもよい。路を行くと云わんより川底を渉ると云う方が適当だ。固より急ぐ旅でないから、ぶらぶらと七曲りへかかる。
 たちまち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されていたたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない。
 巌角を鋭どく廻って、按摩なら真逆様に落つるところを、際どく右へ切れて、横に見下すと、菜の花が一面に見える。雲雀はあすこへ落ちるのかと思った。いいや、あの黄金の原から飛び上がってくるのかと思った。次には落ちる雲雀と、上る雲雀が十文字にすれ違うのかと思った。最後に、落ちる時も、上る時も、また十文字に擦れ違うときにも元気よく鳴きつづけるだろうと思った。

 春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒める。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。
 たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある。
  We look before and after
    And pine for what is not:
  Our sincerest laughter
    With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.
「前をみては、後えを見ては、物欲しと、あこがるるかなわれ。腹からの、笑といえど、苦しみの、そこにあるべし。うつくしき、極みの歌に、悲しさの、極みの想、籠るとぞ知れ」
 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳には行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁などと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲も多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ。

明治の先達の偉大さを改めて、思い知らされるような名文です。


Aretha Franklin-Skylark