こんなに可愛くて癒しで大切でモチモチで底なし沼のように愛おしいいぶちゃん。


いつからかいぶちゃんは、重度の障がいを持つ娘から"ただの娘"になった。





だけど、障がいがあること=可哀想だ、不憫だ、と思う人もいる。


そして人がそう思う気持ちも、私にはよく分かる。


だって私も5年半前、管に繋がれた我が子を初めて見たとき


可哀想だ、不憫だ、と同じ事を思ったから。





今でこそ冷静にそう思えるけれど、昔はそんな風には考えられなくて


この子は可哀想なんかじゃない!


こんなにも一生懸命頑張っているのに!


とどうしても意固地になってしまっていた。





当時は深い悲しみと混乱のさ中にあったから、物事を客観的に理解するのにはどうしても時間が必要だったし


つい相手の言葉に敏感になってしまうのも、無理はなかったのかなと思う。






他人の価値観は決して変えられない


そしてそれと同じく、自分の価値観も誰にも変えることが出来ない


自分の幸せは自分で決めればそれで良い






障がいがあることを悲観的に捉える人もいれば、そうでない人もいる。


パクチーが食べられない人もいれば、美味しいと思う人もいる。


宇宙規模で考えたら、きっと同じことなんじゃないだろうか。






突然パクチーに例えられたいぶちゃん激おこ(笑)


ちなみに私はパクチーが苦手です。






特別扱いをして欲しくないと言いながら、


案外その子のことを特別視してしまっているのは、他でもない、私たち母親自身だったりする。






障がいがあるから、病気だから


他人からすれば、良い意味でも悪い意味でも、それはさして大きな問題ではないのだ。


あらそう、大変ね…


と言った一時間後には、きっともう違うことを考えている。


私には人のそんな曖昧さや適当さが、かえって楽で快い。


構えず気負わず、肩の力を抜いてフラットに過ごしたいものです。


  


昔は「大変だね、しんどいね」と言われると


伊吹の存在そのものがマイナスのように聞こえてしまって、なかなか素直に受け止められなかったけど


今はその労いの言葉が有り難くて、身に染みる…





だって、本当に大変だから!笑






でも、大変さ以上に、可愛さ、愛おしさが全てを上回る。


障がいがあろうが無かろうが、我が子とはきっとそういうものだろう。



 

他人の価値観は変えられないし、変える必要もない。


誰の価値観に左右される訳でもなく、都合よく自分の幸せを捉えて


目の前のことに感謝をしながら、これからもあっけらかんと生きていこう。






"自分の幸せは自分で決める"


いぶちゃんが教えてくれたこと。


5歳ながらに、いや、生まれたときからずっとママのお師匠さん。








いぶ和尚は本日も可愛かったです。