画像で辿る原理主義の源流(14)
サイイドが生まれたころのエジプトでは、トルコ語でアファンディ、アファンデイーヤと呼ばれる世俗の市民階級が台頭していた。官僚、教員としてエジプトの近代化を担っていた階層である。
伝統的なイスラーム社会では知識人といえば、宗教に精通したアーリム、ウラマーの階級だった。アファンデイーヤは、世俗の諸学問に精通した新たな知識人階級で、末は博士か大臣に立身出世する道が開かれていた。
サイイドが六歳になったとき、両親は長男を伝統的なクッターブ(コーラン学校)に行かせるか、官立小学校に行かせるか迷った。愛する息子がアファンディとして立身出世することを願った母親の強い希望で、サイイドは官立小学校に入学した。
しかしサイイドは一日だけクッターブに行った。小学校と生徒を奪い合っていたクッターブのシェイクが父を説得して、息子をクッターブに通わせる約束をとりつけたからだった。
一日でクッターブに嫌気がさしたサイイドは、二度と戻ることはなかった。クッターブに行かなくてもコーランは勉強できる。彼は四年生、十歳のころには、コーランをすべて暗唱した、と自伝で書いている。
写真上、占い師に運勢を見てもらうアファンディ。
写真下、クッターブの授業風景。
写真は共に、Travelers in the Middle East Archive http://timea.rice.edu/
のコレクション。