こんにちは。

 

庭のハイビスカスが咲きました〜😊

どうです?うちの子🌺

昨年よりもうんと大きくて一段と綺麗です。

 

 

今日は、朝から眺めてるだけで、とっても幸せ💕

 

 

 

さてー。

今日は「手放し」について…

 

 

 

「私は勘違いをしてたんだなー。」

と、気づいたことを書こうと思います。

 

 

 

あなたは子供の頃「鉄棒」ができる人でしたか?

 

 

 

私はね。「逆上がり」ができない子だったので、

小学生の時、放課後に居残りをさせれられて、

必死に練習してました。

 

 

「逆上がりなんて簡単よー」

って、人だったらわかると思うんですけど、

 

 

鉄棒をぎゅーーーーっと握りしめてたら

カラダは回りませんよね。

 

 

今だからわかるんだけど・・・

 

 

当時は

「頑張らなくちゃ」

「早く逆上がりできないと取り残されるし」

なんて思って、

ぎゅーっと力を入れてたんでしょうね。

 

 

逆上がりはできないのに

手や腕はクタクタになってました。

 

 

しまいには、

鉄棒から手を放そうとするのに

力が入りすぎで、なかなか放せないという…

 

 

まあ、なんて言いますか💦

ちっちゃい頃から「りきむ」タイプだったみたいです。私。笑い泣き

 

 

まっ。

逆上がりのできない子だった話がしたいのではなくて…

 

 

 

ぎゅーーーっと鉄棒を握りしめていた手を放して

帰宅したわけですが、

 

 

その「鉄棒」は、どうなったと思います???笑

 

 


私が手を放しても

鉄棒は鉄棒のまま。

一晩でどこかに消えるはずもなく…笑

 

 

ずっとそこにあります。

 

 


ただ、鉄棒をしようと思わなかったら

目に入ることはないかもしれなくて、

鉄棒を握ることもなくて、

 


 

けれど、ずっとそこにあります。

 

 

 

いったい何が言いたん?って感じかもしれませんが🙏

 

 



 

話がぶーーん!!と、飛びますが、

 

 

 

私は、

リウマチになってからのおかげで、

ずいぶん自分の心と向き合う時間を過ごしてきました。

 


 

自分を不自由にしてただろう信念とか固定観念とか…

馬車馬のようにがむしゃらな生き方してたとか…

いつも毎秒自分を責めてきたとか…

 

 

それらの思い違いをしていた

「私」もとにした

過去のさまざまな出来事が思い出されて、



私を襲ってくるような気がしてた時期もありました泣

 

 


後悔。孤独。無価値観。罪悪感

↑のように並んだ悲しい文字の感情たち。

 

 


そういうのを

ひとつずつ拾っては手放す!!

気づいては手放す!!

 

 

と、やってきました。

これからも、まだ気づきは続くと思われますが、

 

 

 

でも、ある時、

がーん!と、なったことがあるんです。

 

 

それは、

手放したはずの、

手放したつもりの過去の出来事を、

沸々と思い起こさせる様なことが現実に起きてきて

 

 

 

「あれ、もう手放したはずなのに…」

「ちゃんと手放せてなかったのかも…」

「もう、なんの反応もしないはずなのに…」

と、、、、困惑してしまって、

 

 

 

手放したんだから

もう消えてなくなったのだと思っていたのです。

 

 

 

さらに、

手放すということは、

その手放したモノやコトや感情そのものを


ゴミ箱に捨てて

外から鍵をかけて

どこか遠くの闇の中へ放り込んで、


出てこないようにしたようなつもりでいたのです。

 

 

 

手放すということをそんな風に解釈していたものだから

 

手放したつもりの物が

ゴミ箱から出てきて

私の目の前に現れたんだと思って、

 

 

ギョッとしたし

悲しくもなったんです。

 

 

「また現れやがった!!」

そうも、思ったかな!?笑

 

 

 

 

ああ〜

私の完全な勘違い!!でした。

 

 

 

手を放してもずっとある。

あの日の小学校の鉄棒と同じで、

(例えがぶっ飛び過ぎですかね?笑)

 

 

 

私の信念・観念・自分を苦しめる感情や

それらをもとに出来上がっていた

過去のさまざまな記憶

 

 

それらは、私が手を放しても

ずっと存在はしてるんですよね。

 

 

消えてなくなった訳ではない。

 

 

一時は消えてなくなってしまえばいい。

二度と思い出したくもない。

と、さえ思ったようなコトも

 

 

手を放したからといって

なくなった訳ではない。

 

 

 

ただ、それに…

それたちに…

 

手を伸ばして

手にぎゅっと力を入れて握りしめ

使うことはもうこれからはない。

 

 

手放したものがそこにあるけども、

それに反応することはない。

 

 

あるだけ。

 

 

なのに、

まだ手放させてないと思い込んで、

 

 

手放せてない自分にガッカリきたり

手放せてない自分を責めてみたり

そんなのを繰り返して負のループにハマったこともあるんですけど…

 

 

そうじゃなかったみたい。

 

 

手放したって、そこあるものはある。

 

 

 

ただ、見方が変わった。

ただ、反応の仕方が変わった。

ただ、ざわつかなくなった。

ただ、「よーやったよ」と思えた。

ただ、なんだか「ありがとう」と思えた。

 

 

手放すということは、そういうことなんだろう。

 

 

そう思います。

 

 

だってね。

どんなことがあったとしても

どんなことを思っていたとしても

 

 

全部…ぜーーーーんぶ、私そのものなんだから。

ごみ箱に捨てるなんて思ってごめんなさいだわー。

 

 

経験してきたこと、

味わってきた感情、

生きるのを守ってくれた信念・観念…

 

 

それ

全部…ぜーーーーんぶ、丸ごと私なんだから

 

 

ただ、手を放してもう使わないっていうだけ。

 

 


そして

闇に放り込むとか思ってたのも

真逆なことでした。



手放すと言うことは、


闇のように辛くて苦しかったコトを

光に変換する


そういうことにも思えます。





今日は、こんな

 

大 大 大勘違いのお話しでした。

 




 

最後まで読んでくださったありがとうございます。

とっても嬉しいです