止めて良かった。と云うと多くのクリニックの仲間たちは自分の依存症の依存物を止めて良かったと云うが、それって本音名の ? と私は思う。

勿論、依存症回復の為には依存物を止め続ける事だか、よく考えて欲しい。
依存症に診断される前迄は楽しく依存していた筈だ。

だとしたら、良かったと言う前に辛さが有った筈。
止める辛さがあり、其れを少しづつ乗り越えて来たから良かったに成る。

私なら、ギャンブルならパチンコは楽しいことが多かった。
等価交換でドル箱(山盛りなら2500玉) を20箱を座席の後ろではなく通路入口手前の広い場所に台番号を貼り、周りの人目立つように六角形に山積みされ優越感に浸りながら、一人勝ち的な高揚感が楽しめた。
一箱1000円✕20です。

投資額は三万円から五万円位。

病みつきにならない筈です。

負ける時には10万円なとザラに有った。

優越感、高揚感にしたりがたい為に朝から夜遅くまで。

開店から閉店まで。

楽しい思いも有るが、ほどほどで止める事が出来なくなったには理由がある。

仕事が順調で収入もゆとりも有る。
そんな時だから、何とか我慢出来た。

安定した生活が出来ていたからこそ、保たれた心の隙間を埋めながら支障無く過ごす毎日。

何を言いたいかと云うと、

楽しくやっていたけど、いつの日か苦しい思いをしながらそれでも、楽しい思い出から抜け出せずやり続けて来た。
身体や生活、家庭を壊す事となり依存症と診断され気付き回復しなければと思い、クリニックに通い仲間たちと出会いながら呑まない、やらない日々を重ねている。
回復する為に好きな事を止めるのだから苦しい。
未来を考えたら苦しくても回復を目指そう。

今日一日、呑まない、やらないを積み重ねて少しずつ苦しみが薄れ呑まなくても、やらなくても一日を過ごせるようになる。

此処で止めて良かった。

と成る。

でも、 時折、無意識に呑みたい、やりたいと云う気持ちが湧く。

自分では意識して無くても、無意識に何かに反応してしまう。

だこら、依存症は甘く見てはいけないのです。

無意識に反応した時、精神的に安定しているからこそ、渇望には至らない。

ところがその日だけでなく、日々に不満やストレス、穏やかに要られてない日々が続いていたら、渇望に行って仕舞う場合もある。

此れがスリップ。

一回位、一杯位

なら大丈夫。

その日は一杯で済む。

また、同じ様なストレスが溜まった日に無意識な反応が起きる。

同じ様に一杯。

此れを繰り返したら、
止められない。

依存症に逆戻り。

ここまで話すと、

如何に日々の暮らしが
安定して穏やかに暮らすことが依存症回復に重大かがおわかりでしょう。


穏やかに過ごす為にも、
自分が社会に必要とされている。 
社会に役立ったる。

と思える事を心がける。

其れは自分の為でなく、他人の為に無償で奉仕。

お互いに笑顔に成れれば、居心地良い。

役立った。