高嶺の花 | 空も飛べるはず
Wed, May 11, 2005

高嶺の花

テーマ:ふだんのせいかつ

最近リネ内で結婚ブームがありました。(俺の周りだけかな(笑))

しかし現実でも結婚まではいかないけど、そんなようなことが周りで多く起こっていて、よ~く相談受けています。その話題の輪に、なぜかいつも自分が入ってないことは伏せときたい…

「そこをなんとか、草野です!」と奇声を上げつつ、ブルース・リーのファイティングポーズで強引に輪をこじ開けて入っていこうかと思っちゃったりしてるけど、リー先生の如く手招きしても誰も寄ってこさえしない、むしろ離散していくというこの現実。実家ですが、実家に帰らせていただきます(謎)


かなり前に自分の中で勝手に「人生線」論を打ちたてたけど、最近色々な人の話を聞いて益々「人には人生の線を持っているんだ」と感じます。

最初に断っておきますが、別に俺は宗教家じゃありません(笑) むしろ信じきって望みが叶えられるのは、自分の力のみと思っています。


その「人生線」論(論っていうほどかっこよくない)っていうのは、人が歩んでいく人生をひとつの線に例えるってことです。人と出会うということは、その互いの線が交わること。友達になったり付き合ったりすれば、その線は同じ直線を描く。

しかし、「あ、いいな…」と想う人とはそう交われないものである。例えどんなに強く想っても、交差はしたにしろ同じ線を歩めない人は必ず存在する。なぜならその人が歩む線と、自分の線は平行状態であるから。

人生の線と最初に言ったが、「心」の線でもあり、心が通い合わないと同一の線になることはない。

それもまた、どう想っても平行状態の人は必ず存在する。


そんなことを話を聞くたびに思う。

自分はそういうことに関してネガティブに考える方だけど、やっぱり相談を受けたからには嘘でもポジティブな考え方を披露してしまう。「頑張れよ」や「大丈夫」、この二言は絶対と言っていいほど口から出てしまうが、前述した自分の考え方が本当は心の底にある。


しかし逆の考え方をすると、世の中多くの線が存在する中である特定の人の線と交差できた、そのこと自体が偶然であり、運命だと言える。

そのひとつひとつを大事にしていけば、きっと同じ線を描ける日がくるかもしれない。

その一寸の思いが、相談してきた人に対して掛ける「頑張れよ」「大丈夫」という言葉になっているのかもしれない。


ただ勇気付ける言葉、安心させる言葉を掛けるだけじゃなくて、こういうことを一緒に言ってあげられれば、相談してきてくれた人ももっと頑張ってみようと思ってくれることだろう。この際裏方でも構わないと感じる(笑)

それと同時に自分も、普段の生活において、細かく言えばリネの中でも、出会いというものはやっぱり大切にしていかなければならないなと感じた。

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