水色の奇跡 第二十三回 | 中川忠の小説です。

中川忠の小説です。

中編小説を掲載しています。方針を変更して、毎日の連載にします。

 奥さんにこの一連の出来事を説明する役割は私が受け持つことになった。私は毎朝朝食を持ってきてくれる奥さんに、少しずつ話していった。私は当事者の先生ほど興奮の渦の中にいなかったし、もはや言いにくい事柄などはないと決めているから、先生に聞いたことと私の見たところの全てを出来るだけ順序立てて話して聞かせた。奥さんは始めこそ少し疑り深い様子で聞いていたが、例の庵の絵がまぎれもなく日毎に変化しているのを見るに至って、さすがに話に身を入れるようになった。そして話題は自然の流れで、彼女のお兄さんが庭に埋めて隠しておいた金庫とその中身に移っていった。

 実の兄が夫の抱えている問題に何らかの関わりがあると聞くや、奥さんは俄然真剣になり出した。そして先生が出来上がった城の絵を持って出かける前日に、先生は奥さんの前であの金庫の鍵を開けて中を見せた。奥さんも最初私同様原稿よりもお金の方に目を奪われたようであるが、それまで私から聞いていた話の流れに乗っていたため、その大金の出所を疑う様子はなかった。そして兄の書いたという原稿をぜひ貸してくれと申し出た。先生はやはりまだ困惑した様子で、やめた方がいいと言った。奥さんは先生にそう言われても簡単に怯まなかった。

 わたしは兄がここに帰ってきた時の状態を間近で見た者です、あの頃の兄がこんなたくさんの書き物をしたとはとても信じられない、本当に兄が書いたものなのかどうかが分かるのは実の妹であるわたしだけじゃないですか、と詰め寄ってきた。おそらくこの夫婦の話し合いは、いつもこのような具合に、奥さんの寄り切りで決着がつく場合が多いのだろう。先生は敢えて言い返すこともなく、奥さんに原稿を渡した。

 この原稿が本当に彼女のお兄さんが書いたものなのか、先生も私も疑いを抱いていた。だから実の妹である奥さんに読んでもらうことは、最も適切な確認の方法に違いない。しかし内容が内容だけに、奥さんが、亡くなった兄を辱めるものだと怒って短気に処分してしまうかも知れないという危惧があった。

 その翌日、先生が絵を持って出かけた後、奥さんはいつもと同じように朝食を持って私の部屋を訪れた。原稿の束を入れてあるらしい大きな封筒を脇に抱えていた。そして朝の決まり切った挨拶を手短に済ますと、「昨日あれからじっくり読ませてもらいました」と言って分厚い封筒を私の前に差し出した。私はすっかり戸惑ってしまって、どう言葉を発していいのか迷っていた。すると奥さんが先を越して沈黙を破った。

「とても面白う御座いましたわ」といかにも事もなげに言う。その表情には、別に皮肉を言っているようなこわばりは見受けられない。落ち着いたものである。私は少なからずほっとして、「お兄さんは元々非常に頭の良かった人らしいと聞いていますが、こういう種類の趣味も持ち合わせていらっしゃったんでしょうか?」と探りを入れてみた。

 奥さんは朝食の膳をととのえる手を休めて私の顔を一瞬じっと見つめると、いきなり吹き出して大きな声で笑い始めた。私はどう対応していいのか困って、奥さんが笑い止めるまで間抜けな顔をして待っていた。

「あら、どうもすみません。ただ、うちの主人もわたしにこれを読ませるのをあんなに真面目になって渋っていたし、今あなたもとても心配そうな顔付きをなさっているのを見ると、どうも面白くって。こんなこと言っちゃ失礼ですけど、男の人っていうのはいくら年を取っても度胸の座らないものですね。女はその点段々と図々しくなりますのよ。十六、七のねんねなら、こういうものを読んで恥ずかしがりもしましょうけど、四十も越えますと平気どころか興味津々に読んでしまいますわ。それにこれはわたしの兄の書いたものですから、なおさらですわ」