演劇工房メビウス始動 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

昨日は演劇工房メビウスの稽古始めだった。。同時に今年の稽古納めでもあったけど。

 

4月の「春なのに……2024」に参加するために、キャストを集め、脚本を書いた。

劇団をやめてから最初の、自分でやる演劇活動となる。

退団は、今年のいちばん大きな出来事だったのは間違いない。。

10年近くやってきたんだなあと、改めて思う。ここは自分の居場所だとずっと思ってきた。

よそで活動できるのも、劇団に所属しているからこそだとも思ってきた。

それなのに、終わるときはあっさりやってくる。

やめさせられたわけじゃなく、自分からやめると言ったんだけど、そこに至るまでにはそれなりの蓄積がある。コロナの影響も大きかったのかもしれない。ずっと柱になってきた人の退団もあったと思う。やめないで続けることはできなかったのかと考えることもあるけど、その後の様子を見るに、やはりやめるしかなかったんだろうなとも思う。

まあ、それはいいか。私はポイントを限度いっぱいまでためて、バッと使うタイプなのだ。

 

脚本提供だけ、というのは何度かあったけど、今回は自分も出演する。

自分で書いて自分も出るのは、けっこう久しぶりだ。(だって劇団所属だったからね)

「春なのに」に初めて参加したときとその次くらいは自分も出た。その後脚本と演出のみという作品が2つあったかな。「バスを待つ」と「ピアス」は書いて演出、という関わり方だった。

そうか、自分が書いたものを演じるのはすごく久しぶりなのだな。

だから昨日読みあわせしたとき、ちょっと妙な感じがしたのだろう。

 

「夜明けまで踊ろう」というタイトルの30分ほどの芝居。

出演者は私を含めて4人。

集まってみて改めて思ったが、けっこう異色の組み合わせである。

それぞれ面識はあったものの、一緒に芝居をするのは初めてなのだ。

浜松で活動してるFOXWORKSの狐野さんと、穴の会でご一緒してるzukkyとターキー。

穴の会で一緒に活動してるといっても、穴の会は一人芝居の会で、厳密には同じ舞台に立ったことはない。初めてセリフを交わし合うことになるのだ。

私は脚本を書くとき、わりと当て書きに近い書き方をする。今回のように役者が先に決まっている場合は特にそうだ。完全なる当て書きではなく、私が持っているイメージで書いているのだが、昨日の読みあわせではまずまずそのイメージどおりだった。

もちろん細かい違いはあって、「お、そうくるのか」と思うところも多々あった。

今後の稽古では、その違いをどう芝居に活かしていくかが重要になってくる。

 

3月にやった「春の夜の夢のごとし」の時は、同じ劇団員同士だったし、時間もあまりなかったことから、私のイメージ主導の稽古になった。ここはこういう雰囲気にしてほしいとか、ここはこういう表現にしてほしいと要求した。これも当て書きに近かったけど、私の勝手なイメージで書いているから、思っていたようにはならない。かなり無理を言ってこちらのイメージに合わせてもらった。本番では、なんとか思っていたものが出せたように思う。

 

でも、終わってから、ああいうやり方はあんまりうまくないなあと反省した。

もちろん、脚本や演出の意図はあるんだけど、それは書いた当初に私が持っていただけのもので、本来なら役者同士のぶつかりあいで違うものが生まれてくるべきなのだ。

今回はその反省をいかして、その人から出てくるものを最大限にいかせるような演出をしていきたいと思っている。

問題は自分だよねえ。自分がやってることは見えないので、どうしても後回しになりがち。

一人芝居なら自分だけが深めていけばいいんだけど、相手のある芝居ではそうはいかない。

これからがんばらねば。

なまじ、自分が書いた脚本だとこういうときに不自由なんだなと気がついた。書いた時の意図が邪魔をしてしまう。答えがひとつしかないと無意識に思い込んでいる。その思い込みをいかにはずしていけるかにかかってるんだと思う。

 

それにしても。なんとも恐ろしいことをやっているもんなんだな。