僕はガスのない家で下宿生活をしてみました。十六歳の時でした。
越境入学をした高校の近くに、僕は下宿を探しました。親がいくつか見つけてくれましたが、そのなかで、ちょっと変わった下宿を選びました。家にガスがないのです。電気と水道はありました。
明治生まれのお婆さんの家でした。白髪で化粧っ気のない、鼻から鼻毛が見えているお婆さん。しっかりした物言いは、「旧武家の出身だ」と本人が言っていましたからそうなのでしょう。
ご主人は二十代で戦争で亡くなっていました。それからずっと、ご主人との思い出を胸に、ひとりで生きてきた人でした。
二階建ての戸建の広い庭には野菜が植えてありました。畑です。都会の真ん中にある田舎、昭和のなかの明治でした。
その時代遅れ感が僕を惹きつけました。まるで小説のようじゃないですか。だからその下宿に決めました。
ガスがないのですから風呂もありません。銭湯に行きました。食事は朝食と夕食を出してくれましたが、マキで炊いていました。時代遅れもはなはだしい。
お婆さんは「大学の非常勤で栄養学を教えている」と言っていました。でも、料理の味は最低。ご飯はいつもベチャベチャして、おかずも超薄味。そして一汁一菜。たとえお腹が空いていても容易に喉を通りませんでした。