前回の続きですが、Noさんが亭主の朝茶事も、いよいよ後座となりました。

    我が家で茶事が行われる時は、私は大抵、サポート役で、その辺をウロウロして、何かあったらカヴァするくらいで、茶室の中の様子を水屋外で窺ったりしているのですが、今回は娘がサポートに入っているので、私は全くの用無し。それでも懐石が終わるまでは、台所辺にウロチョロしていたのですが、中立の頃は眠くてたまらなくなりました。前述のような事情で前夜一睡もしなかったのが祟って、居間のソファーに座ると、眠りこけてしまい、目がさめたら、もう茶事は終わっていました。したがって、席中の様子は知る由もないのですが聞いたところでは、伸びやかないい感じで、話も弾み、楽しい雰囲気だったとか。ご亭主も道具好きですが、お正客も道具好きで、地方から東京美術倶楽部の正札市のためにわざわざ上京するくらいですから、主客の間で、道具話で盛り上がったようです。朝茶の約束で、続き薄茶になり、送り礼まで終わったのが、十時少し過ぎ。朝茶事は三時間以内で終われば上出来というので、亭主は進行に気を使われ、座掃を省略するなどされましたが、このくらいの時間で終わればまずまずでしょう。裏千家の続き薄茶の手順は、いつかこのブログにも書きましたが、どうもヘンテコで、我が家などは自己流でやってしまうことも多いのですが、今日の主客は、日頃勉強の裏千家の教本通りになさったそうです。茶事が終わった後、私も茶室で薄茶を頂戴して、御道具を拝見。

 花は琉球月見草と令法(りょうぶ)。花入は解禁の季節に合わせて鮎籠。池田瓢翁の作。朝茶事では、もし花に朝顔を使ったら、初座の床を花にし、後座を軸にするという独特な約束があり、これが出来ると、朝茶独自の雰囲気が出る筈なののですが、いかんせん、まだ朝顔が咲くには程遠い時期で、普通の運びになりました。

 風炉釜は初代畠春斎の切り合わせ。水指が面白い素敵なもので、十三代中里太郎右衛門の作ですが、底に珍しく紀年銘と名が彫られていて、どうやら、父無庵の人間国宝認定の記念展の時のもののようです。

 主茶碗は、井上春峰にしては珍しい黒楽で、大徳寺の藤井誡堂和尚が「岩清水」という、朝茶向きの銘をつけています。

  重ね茶碗で、替茶碗は楽山焼の長岡空権の作。

 茶入は高取八仙作の肩衝で、やや胴の膨らんだ、丸みがあるものです。仕服はご亭主の苦心の自作。お茶を、ご亭主は「三春の昔」という珍しいものを使われました。これは上田宗箇流の好みです。実は、正客は、広島が地元のこの流儀を、学ばれた経験もおありだそうで、それを知ったご亭主の御馳走ぶりです。正客も一口飲んで、それを悟り、大変喜ばれたとか。

 茶杓は大徳寺の九代管長瑞巌老師の銘「薫風」。

 薄茶碗は、十三代沈寿官の竹の絵。共箱が珍しく、ご亭主の掘り出し物です。

 替は瀬戸の川本礫亭の祥瑞写し。

 薄器は軽いものが良いということで、柄杓の合を利用して塗ったもの。木の蓋には、青貝で描かれた歌麿の美人図が嵌め込まれていて、実はこれ、大正時代のカフスボタンの廃物利用。美人揃いの連客へのリスペクトの気持ちだそうな。

 干菓子は、神田のささま製の杜鵑と、京都の末富製の水。器は鈴木表朔の淡々斎好み宝珠蒔絵、亀甲形。全て終わって、乾かさねばならぬものを除き、道具をしまい終わったのが、まだ正午前というのは手際の良い話。四半世紀ぶりの朝茶事も無事終了となりました。苦心された亭主、半東、早朝から集まられたお客様、本当にご苦労様と申し上げます。

   萍亭主