お正月の初釜に、必ずと言ってよいほど用いられ、千家系の茶の湯をなさる方なら、どなたもご存知なのが嶋台茶碗です。

 今更ですが、整理してみると、古い茶道大辞典には「井戸形に開き、内面に金銀の箔を置いた楽茶碗。縁起を祝う茶事に、重ね茶碗として用いられる」と、素っ気なく書いてあるだけで、由来等は何も書いてありません。新しい辞典でも、作例などが付記されているだけです。ちなみに表記は「島台」で、嶋台と普通書くのは間違いなのかもしれません。そもそも嶋台って何なのか。古い大百科事典を見ると「婚礼儀式の祝具。島形の台に肴を盛り、岩木、花鳥をあしらって島の態を装う飾り台」とあり、上古は婚礼だけでなく、宮中の歌会などでも飾り、島物とも言った、後に江戸時代に正月飾りの蓬莱台と融合して、高砂の尉と姥の人形を立てたりもするというような事が書いてあります。要するに、めでたい物という意味で、茶碗にもこの名をつけたのでしょう。創始者は表千家七代家元如心斎のはずで、創作の理由はわかりませんが、七事式を考案するなど、茶の湯の大衆化、広間の活用を計った宗匠ですから、多人数の客に対応するための工夫でしょうか。如心斎が楽長入に作らせたのが本歌になるのでしょうが、これは如心斎から川上不白に贈られたので、今は江戸千家にあります。本歌は井戸形というより、平茶碗と呼びたいような形状のようですが。表千家が現在、初釜に使っているのは、多分、十代吸江斎が楽旦入に作らせたものでしょう。武者小路千家でも、作は知りませんが、初釜には嶋台茶碗を使い、裏千家では、三つ組に発展させた三都茶碗というものを使います。これは玄々斎が楽慶入に作らせた、黒、赤、白の楽茶碗で「都」「吾妻」「浪速」と名付けたので、この名があります。嶋台茶碗の写しは無数にありますが、三都茶碗は、手が掛かるからか、需要がないか、写しを見た事がありません。千家系統でも、江戸千家は勿論、大日本茶道学会でも初釜に嶋台を使いますが、宗徧流は使いません。武家諸流派も使わないはずです。嶋台茶碗の高台は、小の方が五角形、大の方が六角形という特殊な形で、これは五角は鶴、六角は亀を表したものなんだそうですが、まあ、その通りなんでしょうけれど、かなり苦しいこじつけにも思えます。

 茶道辞典の記述に従えば、正月だけでなく、めでたい茶会に使っていいはずですが、現実は初釜以外、お目にかかりません。正直あまり面白い物でもなく、決まりきった平凡な感じですが、ああ、今年も正月を迎えたという気分になれるのは、千家系の茶の湯にはやはり欠かせないものかもしれません。余談ですが、裏千家家元の今年の初釜では、恒例の 三都茶碗を使わず、北陸の震災復興を願って、大樋焼の黒赤一双の茶碗を使われたという話を仄聞しました。

   萍亭主