教育基本法の改正をめぐって、「問題点」のそれぞれについて考えてみる。
1.形式と実質の乖離については、形式に揃えるのではなく、実質に合わせて形式も準憲法的位置づけとし、法的な重みを加えてもよいのではないか。諸外国に準憲法的な法規があるか知りたいと思った。
2.いわゆる押し付け論については、昭和憲法においても同様であるが、ナンセンスではないかと思う。まず、当時の国際法上は全く妥当なものであり、国民感情としても歓迎されたこと。また、一方で「誰から誰に対する押し付けか」を広げて考えれば、明治憲法もまた明治新政府から民衆に対して押し付けられた憲法であるともいえる。たとえば、旧佐幕派ならびにそのシンパからすれば押し付けられた体制だ、と強く感じられただろう。
3.権利基底的教育観については、権利から出発する以外の方法は非合理的な権威による不平等かつ不自由な支配しかない。また、公共性は必ずしも個人主義と矛盾するものではなく、むしろ歴史的には個人主義を前提として成立したものである。公共は国家が排他的に独占するものではない。
2004年、フランスで公立学校におけるイスラーム・ヴェールの着用が禁止された。公立学校における宗教的表徴の禁止法案が下院で可決されたものだ。信仰の可視化は、世俗主義による信教の自由の保証原則に抵触するからという理屈であるが、そもそも世俗主義では「イスラームを信じる自由は認められていなかった」ということが明らかになったと考えるべきだ。
世俗主義では、他者の信仰を脅かさない限りにおいて信教の自由が認められる。しかし宗教的表徴が「信仰の脅かし」にあたるのであるとすると、世俗主義における信教の自由は信仰が私的に秘匿されている限り自由だ、ということになる。言い換えればそれは、第三者からは信仰(宗教的儀式)が見えなければよいということであり、さらに言えば、公共空間においては無信仰な人間のようにふるまう限り信仰が認められるということになる。けれども、「内面では信じているが行為の次元では信じていないようにふるまう」というのは、その人はもはや信仰をしていない、信仰の否定なのではないだろうか。
福沢諭吉は、合理主義の立場を貫徹するために、神社のお札を踏みつけたそうである。これは、福沢翁がお札や神社の神を本当は信じていたが、信じていないことにするために踏みつけたのだと考えられる。信じていなければ「お札を踏むこと」が劇的な事態として焦点化されることはないからである。そして、踏みつけるという行為を取った瞬間に「信じていなかった」ことに転じたのだ。なぜなら、信仰があればまさかそんなふるまいはとることができないだろうとみなされるからである。
このように、行為の水準における無信仰は、信仰の否定以外の何物でもない。可視化されてしまうにしても、行為の保証をするのでなければ実質的な信教の自由の保証とはならない。
インクルージョンは正しいが、過渡期的には教育現場を傷つけるリスクとして働く蓋然性が高い。子どもの権利条約に似ている。
特別なニーズを持った生徒が規格化された教育システムに適応する(含不適応で排除される)のではなく、学校・教師をはじめとする教育システムの方が多様な生徒の持つ特別なニーズの一つひとつに合理的な配慮を提供することが、「当然の対応」であるというのは、理念的には正しい。
けれども、実際には、あらゆる「特別な支援を要する生徒」を学級に包摂的に対応することは、教員たちにはできない。二つの意味で、できない。ひとつは、能力的にできない。現場の教員たちはすでに「かつかつ」である。無理に対応すれば、事件事故の可能性が出てくる。
そうしたときに個の教員を訴訟リスクから学校や教育委員会が守ってくれないことは多くの事例から明らかである。さらに、事故のリスクがあるからと責任感を持って事前に断っても、障害を理由とした入学拒否などとして訴えられる可能性がある。
二つ目のできないは、状況的にできない、ということである。それは、他の生徒の保護者の要望である。特別な支援を要する生徒に合理的な配慮を提供しようとしても、形式的な平等観を持つ他の生徒の保護者からの反対の声があがる可能性がある。