一言で言うと「龍之介しっかりしろ」
励ましにもならない、無責任なことを言いやがって
そりゃそうだ
どうやったら心に届くか、彼が真剣にこちらに向き直ってくれるのかということだ
安いドラマでよくある、自殺しようとする生徒を屋上で思いとどまらせるという、アレだ
ああいう、ちょっと吐きそうなロマンをやろうというのだ
問題は、どうやったら吐かないで済むかということなのだが
軽口ということが大事だ
龍之介はぜんぜん話なんかきかないから
だって、わかったうえで、やろうとしている
客観的になれ、現実をみろ、大人になれ
それくらいは言われるだろうとおもっているから、さきにもう準備していて言ってしまっている
龍之介の方法はアイロニーというやつだ
わかってやってんだよ、と
つまり、自殺をとめようというひとの手をあらかじめ振り払っている
だから、ちょっと、工夫しないと向こうにはいけないということだ
子供がいるだろう、お前が死んだら残された家族はどうする
いや、家族なんて知らん
そんなものはいらないしほんとうはいない
じゃあなんて言おうか
逆に疑問をふってみる
大人になるってどういうことか
現実とはどういうことか
客観とはどういうことか
生きるってどういうことで死ぬってどういうことなのか
そういうくだらないことを真剣に考えて見せるのもアイロニー?
アイロニーといえばなんでも成立する?
どうも、アイロニーというのには弱点があって、つまり、絶対勝つということだ
優越しているという意識のもつ構造的な「不敗性」自体が、勝負しないダサさをもっている
経験を嗤うやつにろくな奴はいない
現場なめんな
龍之介に言いたいことはたぶんそれに尽きる
現場なめんなの六文字を、音だと七音を、32000字にせよというのだ
馬鹿か
簡潔は知恵の魂なんじゃないのか?
だいたい書けというのなら書く時間をよこせ
腹立つ
話がそれて仕方がない
問題は書き続けることだ
アイロニーが分泌され続ける優越性の閉鎖した意識のようなものであるとしたら、ぼくは
適当に一石を放ってその網を破れば良い
つまんないぜ、それ
ではいったい何がおもしろいんだ?
君もすくなくともおもしろいことがそれではないということを知ってるんじゃあないのか?
勝負しろボケ
勝負ってなんだろう
勝負というのは、勝敗が決まる前に、取り組むということだ
ゲームなのか
ゲームだといってよいかもしれない
人生ゲームだ
人生はゲームか
目的がないから勝敗もない
財貨・威信・権力・情報等を争うゲームではないのか?
そうかもな
そうじゃないかも
じゃあどういう人間がよい、というかそれを目がけるべきモデルといえるのだろう
めがけなくてもいいんじゃない
人生においてだいじなのはなにか
生においてだいじなのはなにか
死なないってこと?
どうもおもしろくないね
いや、面白い必要があるのかしらないけど
面白いってだいじだとおもうんだよな
趣味判断におけるよさのことを面白いといってるきがするけど
イケてるとかしびれるとかヤバイとかそうゆうのとおなじでさ
センスいいねそれ位の意味でおもしろいっていってる
茶の湯だな
何がおもしろいかなんてわかんない?
私がそれがなにかわからずにやってる?
つまり、目的ということだけど
目的がなにかわからないゲーム
そんなのゲームじゃないよ
するとゲームの条件ってのがだいじだ
*
なにがもんだいなんだろう
龍之介は、生きたいと思った?のだけど、生きる方法を模索してだめでしんだ
というか、生きるということを肯定したかった?
ダメで死んだって、餓死とかそういうのならわかるけど、自然死じゃなくて人工的な死なんだからぜんぜん生きようとしていないではないか?
安部公房の赤い繭というのを読んだんだけど、
あの感じ?
ちがうかも
つまり、・・・
死ぬまで頑張れという励ましに対して、死ぬまで頑張ることではなく、頑張りたくないから死というリミットを引っ張ってまえ倒したからがんばらないで済んだってかんじ
なんか変
すげー違和感があってぜんぜん乗れない
あらゆるものに対する嫌悪って、対象としてのあらゆるものに含まれないものがあるだろ
それが他者だろ
いってみれば
冗談じゃないよ
なんでもかんでも思い通りになるとおもうなばか
そんな感じだ
意思に従属する人工を愛することは、煎じ詰めれば自己愛に過ぎない
それに対して「自然」
開放系といってもいいし、予測不能性といってもいい
そこに救いがある
究極の自己愛としての龍之介
その自閉をぶっ壊すところにしか道はひらけない
あえて無意味なものに執着することを通じて、何かに熱中する人をばかにしている
熱中者に対する優越で自己を肯定している
闘争の放棄が即勝利の感覚につながっている
対象に還元されない他者が、それをまるごと粉砕する巨石だ
勝手に構成したものの任意性
でも、それは「現実」ではない
なぜなら現実とは代え難いものだからだ
ほかでもありえたにもかかわらず、そうでしかありえないもの
その動かしがたさの指示が、名だという
現実の動かしがたさとは、現在時における何かのものの動かしがたさなのではない
現に、なにか計画してそれに取り組むということができる
このとき、脳の中の想像は、ある(時点としての)「現在」時におけるものの状況の否定である
にもかかわらず、それが、状況を変化させて、想像を実現したわけだ
ということは、いままさにそのように並んでいるような状況はいくらも動く
べつのようになせる
そして、動かせないものもある
わたしはバニーガールでもオバマでもありえるが、わたしでないことだけはできない
歴史は名の連鎖である
そして名こそは、このような現実性の指示なのだ
非行動によって肯定感を不当に得るやからはまるでだめだ
未決定で不確実な現在と相対して可誤的な選択をするのでなければ生の意味はない
***
「地獄変」の良秀は絵筆をとっては「良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な絵師」
である。
良秀は優れた芸術家だがエゴイスティックである